過去の恥ずかしい記録をまとめました。

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-過去ログは古い順に並んでいます-

2010年4月1日(木)

17歳の選択・・・

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巷では「17歳の選択」という本が流行っているとか・・・。
有名な漫画家さん達数人が、その頃何をしていたかを書いた本らしい。

 たしかに17歳といえば、人生の最初のターニングポイントを迎える重要な時期かもしれない。

 私? 私は幼い頃から電気関係に興味を持っていましたね。
 詳しくは「西宮文学全集」をご覧ください。

 私は4歳で懐中電灯の回路を自作して(あはは。おおげさっす)、乾電池と豆球を持って暗闇の中を歩くのが好きだった。そして小学生になると商用電源(家庭のAC100V)をパワーにした自作マシンの実験で、畳にいくつもの焦げ痕を作っていた。
しかし知らぬとは恐ろしい。今、思い出しても震えが来る。何度、家のブレーカーを飛ばしたことか・・・。(良い子は真似しないでね)

 大阪の日本橋といえば、今ではメイドさんの街に変貌しているが、私が17歳ぐらいの頃は東京の秋葉原と同じように由緒正しき電子部品の問屋街だった。

 当時作っていたものといえば、お馴染みのラジオやオーディオアンプでしたね。
 あ、一時期、鉄道模型にもハマって、トランジスタコントローラーを躍起になって作っていたこともあったな。普通の鉄道模型のコントローラーといえば、トランスでAC100Vを12Vに落として、レオスタット(大型の可変抵抗器)で模型のモータに掛かる電圧を調整するものだけど、この方法だとリアルなコントロールができない。でもトランジスタでコントロールすると、本物の列車のように低速から高速までスムーズに加減速が可能になる。当時は夢のコントローラーだった。
 そんな時に部品調達に向かう先は日本橋。いまでもある共立電子産業さんや、三協電子部品さん、岡本無線さん。もうやっていないのかな?ニノミヤ電子パーツさんなどだった。

 朝、家から日本橋へ出かけて買い物をして帰ると、ほぼ一日が経っているというほどの時間を費やした。別にそれほど遠距離でもないが、電子部品の情報発祥の街だったので、とにかく歩き回った記憶がある。

 そして店にいる店員さんは電子部品のことなら何を訊ねても速答するほどの方ばかりで、私からすれば学校の教師よりもランクは上の存在だった。なので、日本橋の電子部品の店員さんと同等に会話ができるようになるのが私の夢でもあった。

 雑誌から得た知識しか持ち合わせていない高校生から見れば、電子部品の店員さんは神様的存在で、またプライドも高そうで、おかしな質問をすればこいつは素人だということがばれて、追い出されそうな気迫も持っていた。なので、なかなか声を掛けることができなかった。そんな中で気安く店員さんに声を掛けて、むずかしい電子部品の話を始めるお客さんもいた。そんな人には、もう羨望のまなざしで後ろから眺めるだけだった。あははは。あほやね~。

 ある日、オペアンプでコンパレータを作り、それを数段並べて比較電圧を調整して、今でいうLEDのオーディオレベルメーターを作る記事が〝初歩のラジオ〟という雑誌に載っていた。
まだLEDが出回っていなかった時代なので、このレベルメーターは8個の電球をコントロールするという、その当時ではかなり大掛かりですごいものだった。(今ならIC一個で完成っすよ)

 光モノが好きな私は早速コレを作ろうと、部品を買いに日本橋へ行った時のこと。
 当時、オペアンプもコンパレータもまだ目新しい技術で、当然、私にはチンプンカンプンだった。さらに雑誌にはオペアンプとは書かれておらず、〝DCアンプ〟と書かれていた。まぁ、間違っていないけど、今はそんな呼び方はしないよね。

 その部品を探して各店舗をうろついたが、どこへ行っても陳列棚にはそのような部品は置いてなかった。
 最後の手段は神様に聞くしかない。でも知識の少ない高校生が電子部品の神様に声を掛けるなんて、恐れ多くて声が出せなかった。しかしあまりに店内をうろつくのが不自然に思われたのか、向こうから声を掛けてくれた。DCアンプを探しているというと、店員さんはそんな部品は知らないという。しかし雑誌にはそう書いてあったことを伝えると、奥に鎮座していた、神様の神様みたいな人を連れてくると、DCアンプの話をしてくれていた。型番を聞かれメモの番号を見せると、その部品を扱っている店を親切に教えてくれ、私はその部品を入手することができた。

 その時のお店が共立電子産業さんだった。〝ピヨピヨ〟と鳥の鳴き声がする階段を上がった電子パーツ店・・・というだけで、知っている方は手を打つだろう。

 その時、私は17歳だった。

 作ったレベルメーターは完成し、12Vの豆球が音量に合わせて光った時は感激モノのだった。そして、そいつはいまでも仕事場のどこかに転がっているはず。ちなみにその時のオペアンプは、たしか〝μA741〟だったと思う。

 それから、ん十年。日本橋へ行くことはなくなったが部品調達は電話でできるようになった。ただ悲しいのは、電子部品の神様達へ電話で質問しても、誰も答えてくれなくなった。みんな声を揃えてこういう、「あなたの方が専門でしょ。ご自分で調べてくださいよ~」


お~い。私なんて何んも進歩してないって。  ヾ(-д-;)ぉぃぉぃ






2010年4月2日(金)

ありがとうございます・・・

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RINNさん。リンクありがとうございました。

 ここんとこある都市のプロジェクトに巻き込まれていまして、次から次へとやってくる課題に眼を廻しており、長いあいだ気づかず申しわけ有りませんでした。

ようやく先週あたりに息を吹きかえし、メチャクチャになっていたこのホームページを片付けていましたら、何やら検索件数が増えていることに気がつきました。
そこで調べてみると、ぬぁんと、RINNさんのページにリンクしていただいているとは・・・。

 どうもありがとうございます。

 こんな、支離滅裂のサイトをご紹介いただくとは思ってもないことで感謝感激でございます。
さっそく、こちらにもリンクをはらせて頂きました。


今後とも、よろしくお願いします。 m(. .)m






2010年4月5日(月)

やっと機能的に・・・

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昨日、ようやく重い腰を上げ、我が家の仕事場に置いてある4台のパソコンをすべてLAN接続にした。これでLAN経由でファイルの共有や、作成中のコンテンツの映り具合を各メーカーのブラウザで同時にチェックできるようになる。
この手のお仕事をしているわりには、やるのが遅かったね。

やるとなったら、結構手間が掛かって面倒だと思ってたもんで・・・。

やってみると別に面倒なことはなかった。ルータ買ってきて接続するだけのことでした。

 いま、この原稿はWindows野郎-2の「次郎」で書いていたのを、Windows野郎-1の「太郎」へサーバー経由で転送して書き込んでいる。もちろん後ろに控えているiMACの「玲子」さんからだって見ることも出来るし、書き込んで転送することも可能。

これで、いちいちiE8やiE6、safariなどで確認するのに、ケーブルを抜き換えなくて済む。
・・・って、超~原始的ぃ~。
こぉゆう仕事をしている人がやる方法ではないな。(恥)

 ま、そんなもんです。寿司職人は家では握らないのぢゃ!

 あぁぁ、楽になった。


パソコン4台繋がっても、
  脳みそは一人前あるかどうかですからね・・・。  ( ̄∇ ̄!)






2010年4月16日(金)

呑み会へ行ってきたよ・・・

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先週の金曜日、ガネーシャに誘われて、CD-ROM制作に携わった主力メンバーを集めた完成打ち上げ会に参加してきた。

なぜ、一週間も経ってからこのことを書いているのかというと、次の新刊紹介サイトの制作納期が、ぬあんと10日も短くなったため、またまた切羽詰った状態になっていました。

いっつもこうなんです・・・。
おかげで、半年間で休みは
 2日だけですぜ…旦那・・・。  ε- ( ̄、 ̄A) ふぅ~。


 9枚のCDを制作するには、当然多くの方々の協力があって完成している。デバッグを担当していただいたクライアントの社員さんや、監修をやっていただいた先生方などなど、大勢の力添えで完成に至っている。だがその中で長期間に渡ってメインで頑張ってきたメンバーには特別の感謝、ということでガネーシャが企画してくれた呑み会である。

さすがに細かいご配慮。感謝でございます。
と、少し褒めておこ~かな。

 4月9日、北新地のとある鶏料理屋さんでスタート。
 〝焼き鶏屋・・・〟と、ひとことでは済まされない雰囲気と趣がある店だった。

各テーブルにスタッフが付くという高級感溢れるお店でした。






 
新鮮さが命、ご存知鶏刺しと、アボガドとささみ・・・。


 集まったメンバーはガネーシャとその部長さん、そしてキャラクター制作の安藤女史(通称:安藤師匠)と私の4人だ。この4人が中心となってやってきた。そう、たったの4人。でも誰一人として作業内容が重なる部分は無い。パートがきれいに分かれていて、持ち場がしっかりと決まっている。例えばガネーシャはリーダーであるのでクライアントさんや先生方、そして制作スタッフのあいだに入って、私のスケジュールの調整や他のスタッフへの連絡、ギャラ交渉、さらにはキャラクターの作成指導や自ら制作をもやる総合的な作業をこなしている。放送業界でいうプロデューサーである。

 部長さんもガネーシャと同じようにクライアントさんと先生方とのあいだに入り、カタチの無い内容からコンテンツの要である絵コンテを作成して、メインの全体画像を拵えている、云わばディレクターさん件デザイナーさんである。

 安藤女史は登場するキャラクターの制作を担当するデザイナーさん。彼女の作る可愛いアイテムが小学生の心を掴むだけではなく、制作するスタッフの心情も和ませてくれる。

ガネーシャっちの会社には他にも関わったデザイナーさんがたくさんいるが今回は参加されていない。たぶん次の仕事が押していて缶詰になっているのだと思われる。心情御察し申し上げます・・・。あ~めん。


 そしてコンテンツのパーツとして集まったすべての画像を、絵コンテの指示通りに動くようにプログラムするのが私の役目。

 半年を切った超短納期で150のコンテンツは少し泣かされましたが、とにかく完成してよかったです。終わってみると意外と楽しかったですね。毎週ステーキ屋で交わした打ち合わせとか、駅構内にある喫茶店で不審者のように扱われた 打ち合わせとか・・・。
部長さんの画像の添付メールとガネーシャからのメールで私のパソコンは容量一杯です。
そして、納期二日前にPDFのバグが発覚して、超緊張した空気のまま朝を迎えたことなんて、今となっては楽しい思い出となりました。

またこんなお仕事があったら誘ってください。
断りますので・・・ぶははは。 ヾ(^▽^* 




デジタル降魔録、初登場の 部長さんと安藤師匠・・・。




みなさんお疲れ様でした・・・の儀式。



 ちなみに、この呑み会の次の日、私は朝7時起きで次の制作をしていましたとさ・・・。


納期が10日も縮むからや!  ヾ(`◇') 鬼ぃ~。






2010年4月18日(日)

呑み会へ行ってきたよ2・・・

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舌(した)の根も乾かぬうちにこんなことを書くのはなんですが・・・。
 昨夜、ガネーシャと新刊発表サイトの完成を祝って呑みに行ってきた。
 あ~。とりあえず何かあると理由をつけて呑みに行きます。たしかに・・・。

 金曜日の記事を読んだ後、今日の記事を続けて読むと何だか酒びたりのアルコール臭いオヤジを連想されてしまうが、決してそんなことはありませんのでご安心ください。

ちゃんと仕事もやっています。というか、私しゃ去年の10月から昨日までで、休日というものが正月を入れて3日しかなかったんですよ。ぜ~んぶお仕事でした。頑張っているんです。だから・・・たまには・・・。
・・・と、連ちゃんで催している呑み会の言い訳に・・・(なっているかな?)

 で、昨日は焼き肉でした。
 あははは。超高コレステロールです。

 とりあえず、先日の人間ドックではコレステロール値が基準よりわずかに高い程度でした。私の体型をご存知の方はお分りのように痩せ型人間です。体重55Kgです。25歳の時から30年間近く55Kgのままです。どうですか・・・。ちょっとぐらいのコレステロールは・・・。
 こんどは焼肉屋へ行ったことへの言い訳です・・・。

 しかし、ガネーシャも私もそんなにもう若くありません。若い人の焼肉の食べっぷりがうらやましいですね。大皿に盛り上げたロースやらカルビやら、次から次へとおいしそうにたべる食べる。網の上に山盛りのお肉が並んだかと思ったらあっというまに腹の中に・・・。

 それに比べて、年寄りのお肉の食べ方は・・・なさけないっす。身体が脂分を求めてないんですね。だったら焼き肉屋へ行くなと叱られそうですが、行きたかったんですからしょうがない。

とにかく、ロース2人前、少し脂の少ないハラミを2人前。後はユッケとキャベツ・・・。これを3人で食べるんです。あははは。なさけねぇ~!


 
網が無駄に焼けてます・・・。   脂の少ないユッケに舌鼓を・・・。


 ガネーシャにいたっては、「俺、ロースの肉汁だけでエエわ」と言い出す始末。
「肝心な部分はどうすんねん」と訊ねると。
「ゴミ箱に捨てるねん」
「あほ、勿体無いこというなよ」
「味は求めているねんけど、脂は求めてない」などとホザキ出す。
「ロースの味は食べてるんやから関係ないやん」
「ほな、俺もカルビの味だけ貰おうかな」
「おね~ちゃん。ゴミ箱お替りね~」

 この人たちは焼き肉屋へ入る資格がないですな。



霜降り部分をどうしても拒否してしまいます・・・。

 
味だけを吸いたいとホザく、おっさん・・・。

本気でゴミ箱はやっていませんが、最終的にこのおっさん達は、脂の少ない(ほとんど無い)ミノをモクモクと食べていました。


 来月の中学生の新刊発表サイトの打ち上げは河豚屋さんらしいです。


バブルの再来かい! ( ̄∇ ̄*)ゞ…あほや~。






2010年4月22日(木)

やっと休暇が・・・

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本日、新刊紹介サイトの制作終了のメールを頂いた。このようなサイト制作の場合も校了っていうのかな? ま、どちらにしても、とりあえずお疲れさんということになるが、実際はクライアントさんのアドレスに貼り付けられたわけではないので、まだ一般には公開されていない。

 クライアントさんは大きな出版社なので、ホームページを管理する会社が別にあるみたいで、そちらにファイルを送れば完了。よほどのことが無い限り、こちらはこれで終わり・・・。
なぜかというと、サイト自体はこちらのサーバーで3週間以上掛けて、大勢で叩きまくっているので異常は出ないと思う。

といいたいが、昨日バグを見つけて修正したばかりだもんね。


 さぁ。ゴールデンウィークっす。
 久しぶりの休暇でっせ。

 まずは、西宮文学全集の原稿の書き溜めと、和やん さんとのお約束、〝かずやんの独り言〟というサイトを作り始めますかね。


「止まると死ぬのだ」病が悪化しているのぢゃ。 ヽ(  ̄▽ ̄;)ノ あほゃ~。






2010年4月26日(月)

寒い・・・

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今年は寒いゴールデンウィークになりそうだ。

 毎年そうだが、ズボラをかましている我が家では4月後半でもコタツが出ている。電気は入ってなく、ただ出しっぱなし状態(恥)。でもさすがにゴールデンウィークあたりになると、見た目にも超暑苦しくなるので、ようやく重い腰を上げて片付ける。

 ところが、今年はちと状況が違う。今朝もぬくぬくのコタツに入りながら朝食を取っていた。夜は夜で電器ストーブが足元で光っている。このまま行くとゴールデンウィーク中もコタツに足を突っ込んでいるかも・・・。

 で、去年の今頃何をしてたんだろうと、過去ログを見てみると気温のことは書かれていないが、暇がないとか納期がどうたらとか、今年とおんなじことを書いている。ほんと進歩してない。他に書くことなかったんかい、と反省してしまう。
・・・ということを、過去に書いていたような気がする。

まったく反省してないちゅうことやな・・・ (^人^)ヘヘ...





2010年4月27日(火)

まもなくお披露目・・・

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いま、〝かずやん〟さんと約束したサイトを作っている。

 約束の原因となった2009年12月13日のファイル消失事件 のショックは今でも頭から離れないで焼きついている。
 ファイル消失事件というのは、サーバー上にあった〝かずやん〟さんのブログ的な日記ファイルを間違ってバックアップもせずに削除してしまったこと。
 こういう仕事をしている身である以上、絶対にしてはいけないとんでもないミスだ。
 で、そのお詫びに奇跡的に〝かずやん〟さんのパソコンに残っていた、2009年の日記すべてを公開する、〝和やんの独り言〟というページを作らさせてもらっている。

 恐らく、この5月の連休後半あたりにはアップできるでしょう。現在360ページ以上に及ぶ原稿をファイル化して準備を進めている。しかし、それにしても毎日更新のこの日記はすごいのひとこと・・・。

 サイトの方は、全体の構想もほぼ画像化されて試作は出来上がっており、「Gallery Kazuyan」 同様、楽しい感じに仕上がりそう。あとは、カレンダー部分がまだ賢くないので、このあたりをプログラムし直せば一応完成。

いまは、2月30日とか4月31日とか、トンでもない日付が出てきますので・・・。

お楽しみに・・・。


まもなく公開・・・(知~らないっと)。 ( ´艸`)ムフフ...