【星屑の囁きみたいに些細な出来事】 作:雲黒斎草菜(利用規約


この物語はフィクションです。実在のよく似たタイトルの作品・土地・人物・団体・事件などにはいっさい関係ありません。

『星屑の囁きみたいに些細な出来事』 作:雲黒斎草菜
2017年 1月28日(土)

惑わされた歴史


 なんとしてでも、朝、行員がやって来るまでにダイヤを金庫の前に戻さないとまずい。そうしないと歴史が変わってしまうからだ。
 だから苦労して銀行に戻るべく、眠りこける茜をようやく目覚めさせることができたのに、ついでにマサまで起こしちまって、せっかく取り戻したダイヤがまた向こうの手に渡ってしまったのだ。

 玲子は自分の美貌を利用したワケの解らない作戦を遂行した気でいるが、タダ酒を飲むことしかやっていない。それで挙げ句の果てには寝ちまいやがって……。

「くそっ、何やってんだ、こいつは……」
 当てにできない酒飲みオンナは放置プレイだ。

 焦燥にまみれて暴れまくりたい気分だが、対策案を捻り出すまでに、この部屋に長居するのは茜にとってよくない。まだ酒の臭いがプンプン残っている。

 案の定──。
「なんらか。あたまがふらふらしてきまふた」
「やべぇぇ。またかよ」
 とりあえずキッチンへ避難だ。俺には絶対持てない粒子加速銃を茜に担がせて、
「マサさん台所借りるぜ。こいつに豆腐の味噌汁拵えさせるからさ」
「おぅ。好きなようにしてくれていいぜ。オレはこっちで姐御の寝顔を拝ませてもらうから。おぉ天使のようだ」

 それはそれで気になるもので……。俺はリビングに舞い戻って、うろうろ。

「味噌汁は?」と訊くマサに、
「今作ってるって。俺はだな。ちょっと後片付けに来た。そ、そう。食べる場所もないだろ」
「別の部屋に移れば済むから掃除なんかしなくていいぜ。どうせ近いうちにぶっ潰すマンションだ」

 その言葉を聞いて──閃いた。
「その手があったか」
 ようやく俺の頭が回転を始めたぜ。遅いぞ、俺。
 誰も住んでいない幽霊マンションで解体直前ということは、今ぶっ潰しても文句は出ないだろう。

 足早にキッチンに戻ると、俺の奮闘はどこへやら、茜は律儀に味噌汁の準備をしていた。

 ヒューマノイドの世話をするために作られたと自ら宣言するだけに、その手際の良さは舌を巻く。鍋に水を張り、火を点けて、米を洗い、と忙しく部屋の中を行き来しつつ、途中で冷蔵庫も覗いていた。

「コマンダぁー。肝心のお豆腐がありませんよー。大豆から作りますかぁ?」
「大豆を収穫させるところから始めたら半年以上かかるだろ。即席栽培の方法でも知ってんのか?」
 冗談で言った俺の質問に、バカが真剣に悩みだしたので、
「マジになるんじゃない。それより俺の作戦を伝える。耳の穴をかっぽじってよく聞け」

 吃驚(びっくり)顔で、俺の耳に指を突っ込もうとする茜の腕を振り払い、
「そうじゃない。お前のだ」
 今度は急いで自分の耳に指を突っ込もうするので、両腕を押さえつける。
「今あいつらがいるリビングルームの奥に部屋があるだろ?」

 茜は可愛い顎をこくこく。
「連中をあの部屋に誘い込むから、上の階を崩して瓦礫で周りを埋めて欲しい。手段は何をしてもいい。粒子加速銃がいいな。あれを使って何とか閉じ込められないか?」

 潤んだ瞳を天井に向けて、しばし思考を巡らせる茜。
 ぱっと瞳の奥を煌めかせると、
「崩壊アルゴリズムの構築が完了しましたぁ。シーケンス名は『マンションは俺が潰してやる』でーす。起動コードは『アルファ528』、起動時はシステムに命じてくださーい」

「システムって……。またあのメンドクサイことするの?」
「あ、はーい。Fシリーズはそういう仕様でーす」

 Gシリーズがあるとしたらこの辺りを改良してほしいものだ。面倒臭くってしょうがない。

「じゃ準備してくれ。これからあいつらを奥の部屋に誘い込んでくる」
「え? お味噌汁は?」
 俺は溜め息と共に肩を落とした。
「時間が無いって言ってるだろ。お前は崩壊軌道の角度やタイミングの設定でもしていろ」

 ようやく茜はしゃがみ込むと、粒子加速銃のパネルを操作し始めた。

「いいか。準備が出来たら俺に知らせろよ。タイミングを見計らってシステムコールをするからな」
 片手に握りしめたオタマを取り上げながら命じ、俺は再びリビングへ戻った。

 マサは朝のテレビドラマと、胴体着陸を試みた戦闘機みたいに指の先からテーブルに突っ込んで眠りこける玲子とを交互に観察中で、床ではヤスが空ボトルの林に埋まって爆睡中だ。

 ここで問題発生。腹ん中で舌打ちをする。

 何か理由をつけてマサを別の部屋に誘うことはできたとしても、爆睡中のヤスを移動させるのは至難を要する。ここは玲子を叩き起こして、キッチンに避難させるほうが楽かもしれない。

 もう一度キッチンにとんぼ返りだ。

 入ると、ストックに付いたディスプレイを睨んで茜が首をかしげていた。
「どうした?」
「あ、はーい。計算では6発のシードを使えばできるんですけどぉ、軌道角度の誤差が大きすぎて……」

「それなんだけどな。奥の部屋ではなく隣のリビングのほうを埋めることに変更できるか?」
「あ、それは問題ありましぇーん。角度をそれぞれ8コンマ334だけ変更すれば可能です。でもパワー配分と軌道角度誤差が……」
「多少の誤差はしょうがない。とにかく閉じ込めることができたらそれでいい。マンションはどうなってもかまわない」
「あ、りょっかいしました。それじゃ準備完了です」
 茜は粒子加速銃の先を妙な角度に合わせて起動ボタンを押した。

 甲高く上昇していく起動音を確認して立ち上がる。
「じゃ俺は玲子をこっちに呼んでくるからな」
 うなずく顎の動きに誘われて、さらりとそよぐ銀髪を見届けてから、みたびリビングルームへ戻る。


 テレビを見る振りをして、
「もうすぐ味噌汁が出来るみたいだぜ」とかウソぶいて、
「おぅ。白鐘さんの豆腐の味噌汁か。楽しみだな」
 期待を寄せるマサのバカ面を見ながら、テーブルに突っ伏す玲子を揺さぶる。

「ん~? ワイン持って来たの?」
 薄っすらと目を開け、眠たそうな面立ちをもたげた。
 まだ飲む気かこいつ。酒に強いって言うけど、こうなると異常体質だな。

 眠る玲子の肩を突っついて、耳元から告げる。
「お前もちょっと台所を手伝え。ほら起きろ」
「なによ~。ワイン持ってきたんじゃないの? え~あたし料理できないよ~。包丁持ったこと無いもの」
「ウソ吐くな。毎日毎晩、刀剣類を振り回してんじゃないか。包丁と似たようなもんだろ」
「え? 刀あるの? なら、何でもみじん切りにしてあげるよ」
「それはそれで怖ぇぇよ」

 マサは笑い顔をこっちへ向けて、
「地下室行けば、砥いだヤツが数本あるけど持って来てやろうか」
 ついと立ち上がり部屋を出て行こうとした。

 チャンスだ!

「おい、ダイヤを持って隣のキッチンへ行け。この部屋を瓦礫で埋めちまうぞ!」
「え?」と目を見開くものの、瞬時にすべてを察した玲子は、無造作に置かれていたダイヤを引っ掴むと、毛皮のコートで包み込み、足早に移動した。

 それを見届けてから俺は玄関へ飛んで伝える。
「マサさん。エレベーターのワイヤーが切れたままだら地下室までたいへんだ。もういいっすよ。玲子には、」
 俺はあいつの部下ってことになっているから、呼び捨てはまずい。
「あ……いやレイコさんには別のことをやってもらう」

 マサは「そうかぁ」とか言いながら部屋に戻り、再びテレビの正面に腰を据えた。
「レイコさんは、食器を並べてくれ」とか嘘くさいセリフを吐きつつキッチンへ飛び込んで、
「承認コード7730、ユウスケ3321。起動コード、アルファ528」
 茜のシステムへ早口で命じ、
『シーケンス名を述べてください』
 と返ったところで、はっきりと唱えた。
「マンションは俺が潰してやる! だ」

 奥から「業者を頼んであるから無理しなくていいぜ」とマサが間抜けなことを言ってきたが無視だ。

 茜は視線でうなずいて見せるとトリガーを引いた。
 爆音と噴煙が飛び散り、天井の隅っこに穴が開いた。間髪入れず、残り5発のシードをそれぞれ角度と方角を変えて連射した。

「な、なんだ!」
 顔色を変えたマサがキッチンへ飛び込んで来たので、
「せぇぇぇぇーい」
 と玲子に背負い投げをされてもう一度、リビングへふっ飛んで行く。
 それへと向かって声を掛ける玲子。
「このマンション、相当古いわね。勝手に崩れていくわ」

 アホか~。



 もうもうたる噴煙に包まれたキッチン。一拍おいて、どんっと大きな音を出して、リビングの奥の部屋が上階の瓦礫に瞬時に埋まった。
 部屋の奥にあった窓ガラスもサッシもぺしゃんこで完全に出口を塞いでいる。
 崩壊は止まらなかった。次々と周りを取り囲むようにして上階が落下。腰が抜けた酔っ払いみたいに、マンションは真下に向かって崩れ出した。

「な、な、な、なんすか、あにい!」
 この騒動で寝られる奴などいないだろう。ヤスが仰天して飛び起きた。
「姐御の会社が、このマンションを解体してくれてんだ」とマサ。

 どこまで自己中の奴らだ。ある意味おめでたいな。
「よし俺たちは出るぞ。ダイヤを持って銀行へ戻るんだ」
 茜を立たせて、いざ出発だ。

「完璧だぜ。俺の作戦! はははのはぁーだ」
 喜び勇さんで飛び上がらんばかりの俺の肩を玲子が突っつく。
「ねぇ。あたしたちはどこから外に出るの?」
「はぁ?」
 ワケの分からんことを言う奴だな、お前は。

「裏口からに決まってんだろ!」

「マンションのキッチンには裏口なんて無いわよ」
「ですよねぇ」と茜。
「じゃあ玄関だ」と言ったのは俺だ。

「埋まってやすよ」と、いつの間にか俺の隣にヤスが立っていた。
「ぬぁぁぁぁぁ」
 なぜに、お前がここに?

「アカ……いや静香。なんで?」
「これが誤差でぇーす」
「なんの誤差なんすか?」と首をかしげるのは、マサ。

「えぇぇぇぇぇぇぇぇ。全員がここにいるじゃないか!」

 絶叫と共に腰が砕けた俺は床に崩れ、それに合わせたかのようにすげぇ勢いでコンクリートの天井が落ちてきた。
 10トンダンプが頭上から落ちてきたようなもんだ。上の階の瓦礫も重なった状態で落下してきたんだから、そりゃすごい勢いだ。

 凄まじい轟音が聴力を麻痺させ、猛烈な激震が平衡感覚を奪う。誰もがぺしゃんこに押し潰されることを意識した瞬間。静寂に沈んだ。
 頭すれすれのところで滑落は止まっていたが、辺りは砂埃りで真っ白だった。

 玲子は黒髪寸前で止まった天井の倒壊状況を見定めて、
「どうしてくれるのよ裕輔。埃だらけになったじゃない。この毛皮高かったのよ」
 コートをバサバサと叩(はた)きつつ、眠そうな顔にうざったげな表情を滲ませた。

「何でー。昨夜(きのう)尻に敷いてたじゃないか」
 この超危機的状況下で、よく言い返せたほうだ。エライぞ俺さま。

 崩れ落ちてきた天井を茜が片手で止めたことに、ようやく気づいたヤス。
「あ……あにい。白鐘さんは人間じゃねえっす!」
 震える指で示した。

「昨日、この子は電柱でも握りつぶすって言っただろ。え? 言ってない? あ、そう」

「──マジかよぉ、白鐘さん。げほげほげほ」
 それよりあんたら最後まで白鐘さんで通すんだね。せっかく静香っていう名前まで用意したのに……。

 二人は粉塵に激しく咳き込み、玲子は迷惑そうにそれを見て、
「ちょどいいわ」
「げほげほ。何を?」
「銀行の裏口を壊して、最新のセキュリティ装置を根元から溶かし、世界最大の金庫を使い物にならないようにして、それから高速道路に穴を開けた罪を償ってもらうわ」

「え~~! それは全部白鐘さんがやったことですぜ」
 ニコニコ顔で天井を支えている茜へ、二人はそろって視線を滑らせるが、
「この子は関係ないわ。こんな華奢な女の子がそんなことすると誰が思うの」
 いけしゃあしゃあと述べるが、俺は横から忠告する。

「あの犯人は捕まっていないのが歴史上の事実だから、この人らに被せるのは無理だな」
「あそっか。じゃ高速道路に穴を開けた罪だけ被ってもらうわ。どうせ散々悪いことしてきたんでしょ。あんたたち!」
「で、でも姐御。俺たちは何もしてやせんぜ。それより全員ここに閉じ込められたのに、どうしようってんです」

 玲子はニッコリとして、
「あたしたちはまもなく高飛びするからいいのよ」
「え~~っ」と叫んだのは俺のほうだ。
「もうそんな時間かよ!」
「そうで~す」と楽しげに、かつ高らかに返事をした茜は、瞼(まぶた)を閉じてシステムボイスに切り替わった。

『ただ今の時刻。午前。8時。59分。15秒です』

 時計付きかよ。便利だねアカネちゃん。

「高飛びって、姐(あね)さん……。この状態では無理ですぜ」
「大丈夫。特殊危険課に不可能はないわ」
「舞黒屋ってそんなにすげぇのか。何をしたってどこへでもトンズラできるんだ。へぇー」

 どこか勘違いしているようだが、玲子は無視して付け足した。
「それよりさ。今回のことを誰にも言わないって約束すること。それとね、」
 嫣然と微笑み、ウインクまでして、
「あたしの家来になるなら、ここは目をつむってあげる。どう?」

 回りくどいことを言う玲子だが、マサたちに得になることは何一つ言っていない。実行犯は別にいるんだし、何だかすごく理不尽なことを要求した気がするが──。

 ヤスは素直にうなずき、マサは小声でぶつくさ言う。
「前から家来みたいなもん……」
「え~~? 聞こえないわよ!」
 高姿勢で胸を張る玲子に、マサは体を前に折りながら、
「へい! わかりやした。ここからどうやって出してくれるのか知らねえけど。極道に二言はねえ。黙秘を通しやす。それと舎弟になりやす」
「舎弟じゃないわ。家来よ」
 まだ言い張るか。

「……承知しやした」
 うなだれるマサとヤス。
 ホットクイッククレージーと呼ばれるアッシーまで家来にして。かわいそうに、便利にこき使われるんだろうな。

 玲子は「やくそくだかんね」と、つぶやくと、茜に向かって、
「静香ちゃん。レスキューへ連絡して救助を要請してちょうだい」
「あ、はい。ケイコさん」
 茜はそう言って目をつむる。しばらくすると電話の呼び出し音が彼女の頭部から聴こえてきた。

『はい、こちら中央署です』
 と男性の声と
『回線が繋がりました。要件をお話しください』
 こっちは茜のシステムボイス。

 それへと玲子が答える。
「古いマンションが自然崩壊しましてぇ。男性二名が閉じ込められたみたいなんです。大至急救助を要請します。場所は……」

「え、え? どこから電話してるんだ?」
「便利でしょ、静香ちゃんは電話も付いてるわ」

「こ、この人。いってぇ何者(なにもん)なんすか?」
「この子はあたしたちの仲間」
「仲間って。人間っすか?」
「マサ……。教えといてあげる」
「へ、へい」
「あたしたちは何でもできるし、何をしてもいいの。それが舞黒屋の特殊危険課なのよ」
 ムチャクチャなことを言ってやがって、世紀末オンナめ。

「オレたちも連れてってくだせい」
「ごめんね、カマイタチー。定員は決まってるの。また助けが欲しいときは来るからさ」
「来る?」
「そ。未来からね」

 こいつはその気になっているけど、時間規則とか考えたらそりゃ無理な話だ。
 だいたいここで俺たちの正体をバラすだけでもやばいし。

「約束の時間でーす」

 俺の思考は茜の元気な声で立ち消された。

「じゃ、救助隊が来たら、ちゃんと出してもらうのよ」
「あ、姐(あね)さん……」

 やがてマサとヤスの目の前で、グリーンの光が俺たちを包み出し、
「えぇぇ! まだダイヤを戻してねえぞぉぉぉ」
 という俺の絶叫を残して──、


 転送された。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ 



 銀龍の転送室で実体化すると同時に叫ぶ。
「どうすんだ。歴史が変わるぞ!」

 出迎えに来ていたハゲオヤジが、すかさず割り込んだ。
「なんや裕輔! なんかやらかしたんか!」
「うっ……あ? い、いや……あの」
 狼狽(うろた)えた。大パニックだ。ここに社長がいるとは思わなかった。こんなに複雑な事柄をどこから説明していいか分からない。
 口ごもって派手に目を泳がせていたら、すぐに司令室へ連行されて、事情聴取が始まった。


「ほんで? 何がおましたんや?」
 茜は不安げに見つめる田吾に愛想笑いを浮かべ、俺はその袖を引っ張って社長に報告する黒髪の美女の横に並んだ。
 何があった、と尋ねられても即答できない。三人とも埃にまみれ、茜の作業着はボロボロ。この姿になるまでの経緯すら説明のしようがない。 しかも玲子の毛皮のコートにはピンクダイヤが入ったままだ。

 二人してモゾモゾしていたら、社長が言う。 
「玲子。おまはんナンボ飲んだんや? えらい酒臭いがな」
「え? あの……。一本か二本ですけど」
 ウソ吐け、朝まで飲み続けていたくせに。お前と飲んだら酒樽のほうが先にギブアップするぞ。

「おい。ちょっと、お前本当に酒臭いぞ。アカネやユイが酔いだしたらまずいだろ。そのこともまだ社長に内緒なんだぜ」
 優衣たち管理者製のアンドロイドはとても酒に弱いという事実だが、まだ俺と玲子だけの秘密なのだ。
 耳元でこっそり忠告してやると、彼女はささっ、と部屋の隅にある空調の吸い込み口の前へ逃げ込み、素知らぬ顔をして天井を見上げた。

 社長は腕を組んだまま、不快感を露(あらわ)にして俺たちに命じる。
「それより埃(ほこり)臭そぅてかなわんワ。おまはんら、シャワーを浴びてきなはれ。話しはそれからヤ」
 だよな。茜なんて頭の上からつま先までコンクリートの粉塵で白一色で、片袖は引き千切れて半袖になっている。これを見るだけで、派手に何かやってしまいました、と吐露しているようなもんだ。




「お茶をどうぞ……」
 シャワーを終わらせ再度司令室に戻ると、優衣がお茶を配るという珍しい光景が待っていた。
 玲子はそれ引っ掴むとひと息に飲み干し、お代わりを要求するが、
「すみません。人数分しか作っていなくて。でも裕輔さんのポケットにスポーツ飲料が一本残っていますので、それを頂いたらどうですか?」
 優衣の言うとおり、茜にと思って自販機で買ったヤツが入っていた。
 急いでポケットから出して玲子に渡すが、なぜそれを優衣は知っているんだ?

 彼女は小声で言う。
「アカネが横で見ていましたでしょ?」
 優しい微笑みと共に、穏やかな視線が俺を捉える優衣。
「ユウスケさん。ワタシは、元アカネですよ」
「あ……そっか」

 なかなか優衣と茜の関係が頭に入らない。茜は優衣の過去の姿なのだ。茜が見たり聞いたりしたものは優衣の記憶にのこるのさ。ややこしいだろう。ああそうさ。とてもややこしいぜ。

「それと……」さらに優衣は補足する。
「プロパティを《静香》に変更したのはアルトオーネへ転送されてから12分後です。なので元のアカネに戻るまであと4分ありますよ」
「ぬぁぁぁぁ。そうだった」
 やばい。と思い振り返ったが、時すでに遅し、茜は田吾に捉まっていた。

「シズカちゃんって誰ダす?」
「留守中の仮の姿でーす」
「何のことダすか?」
「変装ですよー」
 とか田吾に説明する茜を引き離し、適当な用事を言いつけて部屋から追い出した。

「シズカってなんや? うちの嫁はんと同(おんな)じ名前やけど」
 訝しげに近寄る社長には、
「さ、さぁ。何でしょね。何しろあいつは妄想癖がありますからね」
 社長は胡乱な目つきで優衣に歩み寄り、
「ガイノイドが妄想なんかしまんのか?」
 と質問して、彼女から苦笑を貰ってキョトンとした。


「ぁぁ神様……。あと数分、何事も起きませんように」
 真剣に祈りを捧げたのだが、このままだんまりを通せるはずがない。何しろ玲子のコートには今世紀最大の懸案問題が突っ込まれたままなのだ。

 ひとまずその存在あからさまに見せるわけにはいかないので、やんわりと居酒屋での出来事から説明を始め、銀行の金庫を破った説明までをひと通り済ませた。
 最初は泡を吹くかと思うほど驚き、怒り狂ったが、意外にもすぐに収まり、
「まぁ。やってしもたことをグダグダゆうてもしゃない……」
 と、ほぼ鎮火。ひとまず穏やかになり、
「新聞で読んだんやけど、あのダイヤは盗まれずに金庫の前にあったちゅうことや。ということはちゃんとおまはんらが戻しといたんやろ? ほんなら問題は無いがな。まぁセキュリティに関しては、無人管理はまだ無理やと言う警鐘になったんやし。ワシもそう思ってたんや。ま、時間規則に反せんかぎり、結果オーライやデ」

 ピンクダイヤの事件は大きく報道されていたので、当然社長も知っており、どのように事件が収まったかまでも承知していた。おかげで取り立ててこれ以上騒ぐことは無かった。

 さてここからがもっともヤバイところ。まさかそのダイヤが玲子の後ろ手に握られているなど、誰が想像できようか。
 言い出しにくい状況なのは玲子も同じで、さっきからモゾモゾしっぱなしだ。でもこのまま黙り通すのは不可能だと判断したのか、
「それが…………」
 ハゲの顔色を窺いながら、手にしていた物体をゆるゆると差し出した。

 一瞬の静寂が広がったかと思うと。
「どぴゃぁ────っ! ぴ、ピンクダイヤ!」
 脳髄の奥まで響く雄叫びをあげて、スキンヘッドは大げさに騒ぎ立てた。

「えらいこっちゃぁ──っ! 一世一代の大事件やぁ──っ!」

 その声に驚いて玲子はまたもや空調の吸い込み口に退避し、ハゲは騒動を聞き伝て、飛び込んで来たパーサーを捕まえて物(ぶつ)を見せびらかした。
「パーサー、見てみぃ。ピンクダイヤでっせ! えらいこっちゃ!」

 あの沈着冷静なパーサーでさえも、
「こ、これは……なんと……」
 しばらく足の裏を床に貼り付けたまま、上半身だけが動くオモチャに似た動きを披露してから、
「いやいや、そんなはずはありません。これは偽物です。ここにあるわけが無い」とか言って手を伸ばすものの。
「うがぁおぉぉ!」
 うっかり電気ウナギを釣り上げたバカが、思わずそれを掴んでしまった、というお題のジェスチャーみたいなものを披露して固まってしまった。

 野球のタマほどもある薄ピンク色のダイヤモンド。
 本物の輝きを見たことが無い者でも、圧倒させるだけの威厳に満ちた迫力を放出する宝石だ。だから世界一と呼ばれる。

「あなぁぁ、ふあ。本物ぉぉぉ」
 頓狂な叫び声を上げ続けて、蝋人形化していくパーサー。

 こうなったらすべてを打ち明けるしかない。

「すみません社長。先に転送が始まっちゃって……。間に合わなかったんだ」
「ど、ど、ど、ど、ど」
 ど、を5回ほど言ってから、聞こえるほど喉を上下にさせて、もう一度言い直す。

「どないしまんねん。転送したんが午前9時や。もう銀行は開いてまっせ。いまさら戻してももう遅いワ。世間はダイヤが盗まれたって、しっちゃかめっちゃかの大騒ぎやろ。あぁ歴史が変わってもうたがな!」

 社長は「えらいことになってしもた!」と絶叫を残して、皮膚が赤くなるまでハゲ頭を掻きむしり、
「ど、どないします? このままポケットに入れて宇宙を彷徨いまんのか?」
 茹タコ状態の顔を天井に張り付いていたシロタマへと向けた。

「ゴキブリ船で海賊でもちゅればいいでシュ」

 ふありと空中に出たシロタマが、銀行で俺が漏らしたのと似たセリフを残して、部屋を出て行こうとしたので、
「タマ、頼む。俺たちゃ親友だろう。何か助言をくれ」
 腹立たしいことだが、こいつに懇願するしか策はもう無い。

「オメエと契りを交わした覚えは、にぇーでしゅ」
 そんな気持ちの悪いことはしていないが……する気も無いし。

「何か対策を考えてくれよ。ちょちょっと時空修正とかすればいいんじゃね?」

「時間項が定まってしまった因果関係を覆すには膨大なエネルギーが必要なんでシュ。オメエの尻拭いだけに10ギジワット(≒ギガワット)ものパワーを使う価値は無いでシュね」
 風に乗る風船みたいに、俺の頭上でふわふわと漂ういけ好かない奴め。よくそれだけ高慢な態度が取れるもんだな。

 俺は憎々(にくにく)しく上目遣いにその姿を睨み、社長は掻き毟っていた手の動きを止めて、願いを請(こ)うような表情を優衣へと向けた。

「なぁ。もういっぺん過去に戻ってやり直せまへんか? このボンクラ連中が裏通りで眠りかけたら、シバくだけでエエねん」
 シバかれるのは本意ではないが、この際それでも仕方が無いな。

 ちょうど俺と社長の中間位置に浮かんでいたシロタマが物を言う。
「ユイ。このおしゃる(猿)たちは、まだ気がつかないでシュよ」
 何が言いたいのかよく解らないが、意外と腹が立たなかったのは、ずっと優衣が微笑んだまま俺を見ているからだ。

「ユウスケさん?」
「なんだよ?」
 戸惑う俺に優衣は柔和な笑みを消さずにこう言った。

「今日は日曜日ですよ。銀行が開くのは明日です」

「 あ 」
 ディスプレイの隅っこに映るカレンダーに全員の視線が集中する。分かりやすいように2年前の同時刻に合わせてあるヤツだ。

「ほんまや~」
「うひょぉぉ、助かったぁ」
 力尽きて崩れる社長と俺。二人して床に膝を落し、突っ伏した。

「今から転送しておけばじゅうぶん間に合います」
 優衣の甘声が天使の言葉に聞こえたね。

「ようゆうてくれた。ふはぁ。寿命がおもいっクソ縮んだデ」
 ひゅぅ、と社長は変なふうに喉を鳴らしていたが、
「ん~?」
 なぜか一拍あけて疑念めいた目つきなると、社長はしばらく眉をひそめた。

「ちょっと待ちいや……」
 何かに気づいたのか、ハゲオヤジは前髪を空調の風になびかせている優衣に首をねじった。

「アカネがやらかしたことは、事前におまはんには解るんちゃうんか? それが時間のパスで繋がってるちゅう意味や、ってゆうてましたな……。まさかおまはん!」
 脳内温度が急激に上昇。
「こうなること最初から知ってて、黙ってましたんか?」

 優衣はにこやかに、かつこともなげに首肯し、
「最初にアカネの社会勉強だと、お伝えしましたでしょ?」
「せやから、あんなにアカネを連れて行ってくれと推したのか…………。あっ」
 と言った後。自分の吐いた言葉に息を飲んだ。
「ちゃうんやっ! アカネやないとあかんのや。そうか! これはすべてが歴史のとおりなんや。ワシの前にピンクダイヤが持ち込まれ、それを慌てて金庫の前に転送することも、何もかもそういう歴史やったんや!」

「やっと気付いたでシュ。洞察力はしゃる(猿)以下でシュね』
 天井からシロタマにコキおろされたのにもかかわらず、社長は怒りを忘れて茫然とし、玲子は吸気口で酒臭い息を吐きかけていた。

「つうことは……俺たちは利用されたのか?」
 こいつ、侮(あなど)れん。俺をうまく使って歴史を刻みやがって。せめて結末を教えておいてくれれば、こんなに肝っ玉を縮めることも無かったんだ。

 優衣は薄く笑いながら言う。
「結果の知っている推理小説は読む価値が無いでしょ」

「あぅ……」
 言葉が出ない。こいつと本屋へ行くのは金輪際よそう。