【星屑の囁きみたいに些細な出来事】 作:雲黒斎草菜(利用規約


この物語はフィクションです。実在のよく似たタイトルの作品・土地・人物・団体・事件などにはいっさい関係ありません。

『星屑の囁きみたいに些細な出来事』【第一章:旅の途中】 作:雲黒斎草菜
2016年 12月31日(土)

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「見ていただきたいのは、これなんです……」
 細い指でポケットから摘み出されたのは、一枚の写真。それは真新しく、艶々した面にはケチらハゲと5歳ぐらいの男の子が並んでいた。男の子はさらに右隣に立つ、黒いワンピースに白いエプロンドレスを羽織ったメイドと手を繋いで、にぃと笑っている。

「なっ!」
 それを見て凍りついたのは社長だけだった。その唖然とする姿が異様に大げさで、確実に部屋の温度を下げていた。

 ハゲオヤジはテーブルの上に置かれた写真へ、ぎこちない動きで指を近づけると、
「こ……こ……こ……」
 鶏の真似でもしようってのか、口を小さく丸めた。

「こ、こ、こ……」
 まだやってやがる。

「まさか隠し芸の練習か?」
 と言って、睨まれた。

「アホか! ちゃうワ!」

 さすがに玲子も痺れを切らしたらしく。
「社長、どうしたんですか?」
 写真とケチらハゲを交互に見比べる玲子。
 ようやく気づき。
「こちらの男の子が社長なんですね」
 納得した風に息を吐(つ)き、ケチらハゲは頭をコクコクさせる。

「え? こっちのハゲ……じゃない、貫録のある男性は?」
 ハゲからまたもや睨まれる。

「こっちのハゲとるのがワシの親父で、この毛がフサフサの子供がワシや」
「なはははは」
 喋りずらいが地雷を踏んだのは俺だ。爆死覚悟で会話を続ける。
「社長がお子さんの時にしては、この写真新しくないっすか? まだ新品みたいだ」
 ようやくナナが面(おもて)を上げて、俺を正面から見た。
「そうですよ。いただいて来たのはつい先ほどですから」
 意味わかんねー。

「ちょっと玲子。隣の部屋にいる真理子はんに言うて、ワシのアルバムを持って来るように言うてくれまへんか」
 秘書面に戻した玲子は笑顔で一礼。
「承知しました、社長」
 と言ってから、隣の部屋に声を掛けた。


 待つ間も無く。
 ハイールの音も高らかに、古めかしいアルバムを小脇にした真理子さんが入室。テーブルに近寄るなり、短い声を上げた。
「あ……」
 上に置いてあった写真が視界に入ったのだろう。疑念よりも恐怖に近い表情に顔を歪めて凝視した後、何か言いたげな目線で社長をマジマジと見つめた。

「そうや。その写真や、見覚えあるやろ?」
 真理子さんは静かにうなずいた。
 この女性は秘書室の中でも古株のほうで、社長とも付き合いが長い。すぐに察したらしく。アルバムをペラペラとめくり、ぎょっとした面持ちで手を止めると、テーブルの写真と交互に見つめた。
「しゃ、社長……」
 開いたアルバムを写真の横に置き、スキンヘッドの顔を覗き込んで目をパチパチと瞬く真理子さん。
「……失礼しました」
 そう言うと、背後を顧みることも無くそそくさと部屋を出て行ってしまった。

「あの人は現実主義やからな。理解できんモンから逃げるクセがある」
 と漏らした言葉に首を捻りつつ、広げられたアルバムを覗き込む。

 いくつか整然と並んだ写真。どれも年代物でセピア色に変色していたが、一枚だけ見覚えのある写真があった。

「これ、同じ写真だわ」と指差す玲子。
 だが少し違う。
「社長がカメラを見てない。横を向いている」

「そうや。何でこんな撮りそこないの写真が残されたのか、昔から不思議に思ってたんや。よう見てみい。写真館で撮影しとるんや。ほれ、バックの設えとか本格的や。な? プロのカメラマンが撮影したんやったら、たとえシャッターを切る寸前に子供が横を向いても、撮り直すもんや。ほんでちゃんとしたほうをアルバムに張るやろ」
 と言った後、ふうと息を吐き、
「ワシのオヤジはセコかったから、失敗作の写真も貰って来たんやとは思うけど……」
 ケチとハゲは遺伝するという新説を唱えた社長は、しばらく過去に思いを馳せたていたが、生き返ったカエルのように息を吹き返して言う。
「ちゃんとしたんは紛失したもんやと思っとったんや」
 アルバムの中からセピア色の写真を抜き出し、ナナの持って来た写真の横に並べた。

「……せやけど、なんでおまはんがそれを持っとんのや?」

 古ぼけて色の変わったほうの写真とナナが取り出した写真を交互に見比べる。
 子供が横を向いてしまった以外、他の人物はまったく動いていない。社長の言うと撮り直したのだ。

 ケチらハゲの指の震えは止まらない。それどころかさらに激しく震えだした。
「せや。このメイドさんや……いま思い出したデ」
 記憶の糸を手繰(たぐ)っていた社長が面を上げた。
「これ見てみい。誰かに似てると思いまへんか?」
「誰かって?」
「ナナちゃんの髪の毛を……こうショートにしたら、そっくりダ」
 今度は田吾がナナと写真を交互に見比べ始めた。

「おわかりですか?」
 おい、ちょっと待て──マジか?

 ケチらハゲは屈めていた腰を引き延ばし、見開いた丸い目でナナを凝視。
「まさか、このメイドさん。おまはんか!」
「はいぃぃー」
 元気に挙手をするナナ。

 ぴょんと背筋を伸ばすと後ろに手を回し、長い髪を束ねていたリボンを解くとふるふると頭を振った。すると黒髪がぱふぁっと扇型に開放されて、玲子と同じ艶々のロングヘアーが波打った。その魅惑的な黒髪姿はとても人工とは思えない出来映えだ。唖然と見ている前で髪がしゅーっと乾いた音を発して、すべてが頭の中に吸い込まれた。

 ナナを作った管理者の開発センスは、驚嘆に値するほどの超絶で美的なこだわりがある。髪型と色を簡単に変更できる構造なんだ。このおかげで大きくイメージを変えることができる。

 一瞬マネキン人形かと思わせる可愛い坊主頭を披露したが、半拍の間も無く、頭皮から栗色の髪の毛が放射状に噴出し、ゆっくりと垂れ下がっていく。
「あうぅ……」
 信じられないだろうが、そこには綺麗に内側へウエーブする栗色のボブカットに変身したナナが立っていた。

 言葉を失って、ぺたんと座席に座りこんだ。全員がだ。
 写真のメイドと寸分の違いも無い。たった今撮影してきた、と言っても過言ではない。

「おま…………はん」

 楽しそうに歩き回るナナを視線で追いかけるのが関の山だった。

「メイドを辞めるときに、撮り損ねた方の写真を記念に頂きたいとお願いしたのですが、ご主人様がこちらを持っていきなさいと、正面を向いたほうを渡されました」

 髪型はおかっぱに近いが、もう少し長くて正面は軽くセンターで分けられており、左右に緩くウエーブを描いて頬を覆っている。内巻きの先端は顎から頬、首の後ろを綺麗にロールして、ふさふさと柔らかそうだった。

「か、可愛いダぁ。ナナちゃぁぁん」
 田吾は奇妙な声を捻り出し、飛びつかんばかりの勢いだ。
「痛でででで」
 玲子が頭を小突いて黙らし、俺は驚愕の解説に打ち震えていた。

「ご、50年も前の話やで? ほなあの時……」
 ハゲの声も震えていた。
「ドゥウォーフの村に持ち込んだあのサンドイッチの味も絶品やと思たんは、同一人物が作っとったや。そりゃおんなじ味がするワな」

「マジでお前、社長と面識があったのか? おかしいじゃないか。それだと衛星でガイドする前から知っていたことになるぞ」
「いいえ。昨夜までは面識はありません。そういう歴史でした。でも今はそうなりますね」
 と言い、さらに頬をほころばせ、
「だって。ほら、これも」
 もう一枚の写真を取り出した。

「なぁぁぁぁぁっ!」
 今の声は俺だ。社長の子供時代に撮られた写真の横に置かれた1枚のフォトグラフ。
 こまっしゃくれた俺の子供時代の写真だった。まだ弟が生まれる前で、三輪車に乗ってすました顔のやつだ。

「待ってくれ。何でこの写真をお前が持ってんだ」
 そこまで言いかけた時だ。異様な雰囲気が肌を強く伝わってきて、口をつぐんだ。
 なんだか頭がおかしい。沸々と湧き出す記憶。まるですっかり忘れていた夢の内容を思い出すかのようだ。それは見る間に鮮明になって、
「俺が持ってるヤツは半分に裂いたはずだ!」
 そう叫ぶと共に、なぜ半分に破いたか理由を聞かれるとまずいと思った。
 破ったほうには俺の初恋の人が写っていることを思い出したのさ。5歳にして初恋だ。な。こましゃくれたガキだろ?

 ほっとけ!

「わぁぁぁぁぁ! ま、まさか!」
 やばい。マジでやばい。目の前に突き出された写真は破られていない。その部分が白日の下に曝け出される。しかも今見ると、誰だかはっきりする。

 ナナだった!
 まさかあの時の女性がナナだというのか。

 隣に住んでいた外国の留学生だ。それがある日、突然母国へ帰ってしまったのだ。
 その女性が三輪車の向こうに写っていた。そうはっきり思い出した。それが俺の初恋の人だ。いなくなった人を恋い焦がれ、1枚しかない写真のこの部分を破いて、大切に持っていたんだから忘れるはずがない。
 今あらためてじっくり見て確信した。これはナナだ。
 まるで記憶喪失に陥った患者の目覚めのように、次々記憶が甦る。俺には恥ずい記憶がたんまりあったのだ。

 ナナはまだ何か言いたげに口元をモゾモゾさせていた。それが何であっても、とにかくここは穏便に済ませたい。
 片目を幾度も瞬いて「何も言うなと」アイコンタクトを送るが、
「なによ。あなた目にゴミでも入ったの?」
 と玲子が覗きこんできて、俺は大いにうろたえる。

「うふふふ」
 ナナが意味ありげに笑い、ブタオヤジが写真を覗き込んで指を差す。
「この男の子は裕輔ダすな?」
 右左で異なる柄の靴下を履いても平気なくせに、なぜかこういうときは細かいところに目が行く野郎なんだ。

 黙っていたら、もっとヤバそうなので、
「あ? あぁ。そうだ。俺が5歳の時の写真だな」

 平然として時が流れるのを待つが、
「なんで、それをナナが出したのよ?」
 玲子。頼むから波風を立てないでくれ。それ以上詮索するな。

 でも俺の願いは虚しく葬り去られる。
「この人。ナナに似ていないダすか?」
 田吾よ。ほんっとに、お前はそういうとこ敏感だねぇ。

「そうですね。服装は古めのリクルートスーツみたいですが、長い黒髪といい。この輪郭はナナくんですね」
 パーサーくん。もういいからあっち行っててくれる?

「裕輔の子供時代にも、ナナが飛んでたの?」
 結い上げた自慢の黒髪が、崩れんばかりの勢いで振り返る玲子。

「い、いやぁ。気づかなかったなぁ。でもさ、悪いが全然記憶にないね」
 こうなったら違う意味ですっとぼけるしかない。

「ユウスケさん。ほんとに記憶にないのですか? ねしょパンツの、」
「わぁぁぁぁぁ。ナナっ!」
 ハイパージャンプでナナに飛びつき口を塞ごうとした途端、神業の動きで玲子が俺の懐深くに滑り込み、体をひょいとねじりやがった。
 たったそれだけの動きなのに、水に濡れたぼろ雑巾みたいに吹っ飛ばされ、仰向けに床に伸びて、びたぁぁん、てな音を出した。

 床ドンの進化したヤツだ。踵(かかと)から尻、背骨、鎖骨、後頭部まで、体の背面全てを床に打ち付けられる、新型床ビタンだ。新しいゴキブリ駆除剤みたいだが、床ドンよりかなり痛い。

「痛ぇぇぇぇなぁ。このバカ女。手加減しろぉぉ!」

「ごめん。いきなりナナに飛びかかったから、体が反射的に動いちゃった」
 片目をつむった玲子は、胸の前で手刀(しゅとう)をかざして謝罪を込めた。

「この動く殺人兵器め。反射的に動く腕なんか縛っとけ!」
 という俺の叫びに、田吾がぽつりと告げる。
「腕を使わないでも、のされるダすよ」
「じゃぁ……。足も縛っとけ」


「──ナナに間違いないんやな、裕輔?」
 ケチらハゲは俺たちの会話には興味がないらしく、話を急かした。
「え? ええ」
 仕方ないだろ。認めるしかないもんな。

「で、ねしょパンツってなんや?」
「ば、ばっ、ば……」
 まさか社長に向かってバカ野郎とは言えないので、『ば』に続く言葉を探していたが、
「きっとオネショでもしたんダスよ」
 このブタオヤジめ。デリケートな問題を簡単に展開しやがって。
「憶測だけで話を進めるんじゃねぇ!」
 田吾に向かって怒鳴ってやった。
「あなたのオネショなんか。興味ないわ」

 あ。そ。

「どういうことなの、ナナ?」
 説明を求める玲子に、栗色のふぁふぁヘアーの前髪を揺らしながら向き合う。
「この写真は、ユウスケさんが5歳の時、隣に住んでいたワタシが、可愛いお子様ですねって言ったら、お父様が写真を焼き増してくれたので、そのまま頂いて来たんです」
 と言って、再び続きの台詞を楽しげにつけ足した。

「さっきですけどね」

「お、お前……。よく俺んちへ遊びに来てたじゃねえか」
 俺の指も社長と同じようにワナワナと震えていた。
「あ、はい。よく遊びましたよね。公園行ったり、散歩したり。そう言えば、このあいだ玲子さんの家に伺う時に近くを通りましたでしょ……。懐かしかったんですね」

「なぁ───っ!」

 ちゅうことは。
「じゃ、じゃ、じゃ。ラーメン屋が6分23秒で見えて来ると言ったり、子どもが飛び出すと言ったのは?」
「もちろん未来のワタシからの同期情報のおかげで、すべて経験済みだったんです」

「んで。裕輔のオネショはどうなったダす?」
「誰も興味がないって言ってんだろ、バカ」

 だがナナは部屋の中を見渡してからニコリと微笑む。
「ワタシがこの時間域に戻る前にご挨拶に伺おうとしたら、ご両親はお留守で、オネショをしたとユウスケさんが泣いて飛び出して来たので、ワタシが洗って乾かしてあげたんです」

「ナナぃぃぃ。くだらない情報を残らず暴露するんじゃねえ。あぁぁぁあ。お俺はナナに遊んでもらっていたのかぁぁぁ。俺の初恋の思い出はお前に作られたものだったのか……」
 限りなく力が抜けてきた。
 彼女を慕い、泣き明かした子供の頃の小恥ずかしく甘酸っぱい記憶を、急激に思い出させてくれた写真。

 えっ!?
 思い出した……のか?

「ちょ──っと待て! 引き出しのピザだ!」
「なに言ってるダ? ピザが食べたいんなら、分けてあげるダよ」
「バカ、冷えたピザなんか要らんワ! そうじゃない」
 そう。あれだ。
 これは思い出したのではない。変えられたのだ。いや、事実だから思い出した、でいいのか?
 どちらにしても、俺がピザを出せと言った瞬間に、社長や俺の記憶が塗り替えられたのだ。

 歴史の改変。それで間違いない。
 引き出しにピザが入っていなかったという歴史が消されたのと同じ理屈で、ナナと出会っていない歴史が消され、ナナを恋い焦がれた歴史と、たった今入れ替わったのだ。
「むぉぉぉぉ……」
 時の流れの壮大な深さと、奇妙な事実に鳥肌が走り、全身がぶるぶると震えた。

 ただ一つの疑問は、写真を見るまでなぜ記憶が甦らなかったのか。それは後に晴れることとなるのだが、この時すでにナナの話を疑う余地は何も残っていなかった。俺たちは2枚の写真を眺めて長い時間、黙考に沈んでいた。


 最初に口を開いたのはパーサーだった。
「ではナナくんは、さきほど扉を開けて閉めた、その刹那の瞬間にそれだけのことをしたわけですね。トータルどれぐらいの時間を経験してきたのですか?」

「そうですね。理解しずらいかも知れませんが、ワタシは外で待機していた未来のワタシに頼んだけです。ここからワタシが時間を飛んでもよかったのですが、皆さんに跳躍光をお見せするのはまだ時期尚早だと判断しましたので、ワタシは未来のワタシに託して、結果を同期しただけです」

 なんですと?

「同期?」
「あ、はい。扉の外にいたワタシと修正結果を共有することです」

「今のお話しだと、ナナくんがもう一人登場していますが、私の聞き間違いでしょか?」
 何でもいいけど、この人は冷静に言葉を運ぶよな。俺なら、『お前はバカか!』で済ましちまうところだ。

「はい。多重存在と呼びます。それとご質問のお答えですが、時間を飛んでいた期間は……」
 ナナは一刻の間を空けて、奇想天外なことを言う。
「社長さんがお子さんの時に1年。ユウスケさんと半年、お店でピザを待って20分ぐらいです。あ、そうだ、ユウスケさん。ピザキャップでなくてごめんなさいね。お店が混んでいたのでドノミにしたんです」
 何で、そんなことを俺に伝えるのだろ、この子?

「なるほど。多重存在の意味が解りましたデ。ほんなら、おまはんはいろんな場所や時間でほぼ同時に存在することができるんや」
「そういうことです。説明が省けて助かります」

「無限の時間を持つ少女ですか」
 ぽつりと漏らしたパーサーの言葉が印象的だった。

 多種多様のトラブルに遭ってきた俺だったが、今ここでピザを出してみろと変な注文を出したがために、数十倍のしっぺ返しを喰らうとは思っても見なかった。これは急いで自分の記憶を洗い直したほうがいい。その後、今日にいたるまで、俺の記憶の中にナナが登場しているかも知れない。そう思うと背筋が寒くなってきた。こいつ他人の人生まで改ざんすることができる。いや、やろうと思えばまったく違う世界に作り替えることもできるんだ。

 なんちゅうもんを作っちまったんだ……管理者め。

 俺の思いは変なところに着地していたが、腕を組んだ社長は、大きな吐息と共に椅子に深く尻を落としていた。
「ほんで、ワシらに何ができまんの? 時空理論の概論でさえ理解していない原始人みたいな人種でっせ」
 と言ったあと、片眉を微妙に歪めて、天井にへばりつくシロタマを見上げた。
 猿だとか原始人だとか、あいつに散々言われるセリフを自ら漏らしてしまったことに、後悔の念を浮かべたんだろう。
 だがタマはジャマをする気はないらしく、楕円形になったボディの隅っこをプヨンと揺らしただけで、済ませやがった。

「時空の修正はその事象に最も関りのあるその時間域の人が手を下さなければ、歴史が変わってしまい未来が大きく変化する可能性があります。ですので別の時間域の人が手を出すことはタブーだと言われています」
 ナナの目の色がさらに色濃くなり、付け足した。
「ところが、ワタシも社長さんたちと同じ時間を過ごしていますので、手を出すことが可能なんです」
「なるほどな。好都合なワケや」
 こくんと顎を引き。
「時空修正はワタシがやりますので、みなさんにはそのフォローをしていただきます」

「何を修正するの?」と小首を傾ける玲子。
 こいつも田吾と同種の人間だな。これまでの話を何も聞いていない。
「お前は、今まで何をしてたんだ」

「あのね。不思議な話ばかりで、よく頭に入ってこなくて……」
 やっぱりな。脳ミソの大半が筋肉のヤツなら仕方がないことで、社長も呆れ気味に言う。
「歴史の修正をするんやがな」
「そんなもの修正しちゃっていいんですか?」
 と返す玲子の気持ちも解らないでもない。

「そりゃそうだな。一歩間違えれば未来がムチャクチャになるぜ」

「時空間を正しく理解して手を出せばそれが可能です。そうすることでこの銀河が救われることになります。少なくとも管理者の銀河消滅反対グループはそう信じています。ワタシもそうです」
 ナナの瞳はいつもより増して、無色透明の光りがみなぎっていた。
「ドロイドさえ蘇生しなければ、すべてうまくいきます」
「増える前に卵を先に潰すちゅうわけでんな」
「なんだゴキブリ退治と思えばコトは簡単だな。具体的にはどうやんだ?」

 まだ要領を掴めないでいる俺たちに、ナナは詳しい説明を始めた。

 それによると──。
 結局、過去のナナは、残り三枚の点火チップでスフィアのエンジンを起動することができなかったのだ。
 ま、こんなのは想定内の事だったたらしく、かつ、白神様の頼みとあって、喜び勇んだドゥウォーフの青年、バッカルは足りなくなったチップを隣のスフィアまで取りに行ったらしい。その時、そこのエンジンシステムを起動させたことにより、メモリに寄生バックアップされていたプログラムが一体のドロイドにリロードされて再起動したということだが──。

 なんだか話がまた胡散臭く感じて来た。そんなSFめいた話があるかい?
 さっきの驚きが薄れ始めた俺は、懐疑的な気分に移り変わりつつある思考の中で、話の続きを聞くこととなった。
「蘇生したドロイドはシロタマさんからダウンロードした転送理論と、ドゥウォーフさんのカタパルト技術を応用した新たな転送方式で、超新星爆発直前の空間に流れる漂流物を渡り歩いて、どんどん遠くへ跳んでしまい爆発の衝撃波からも逃れたんです」

 社長は重苦しい吐息と共に組んでいた腕を解き、もはや出す声も無いと言った面立ちでナナを睨み、詰まるところ、結局つぶやいた。
「ワシらの知らぬところで、そないなことが起きてたんでっか……」

 うっそー。マジで言ってんのか、このハゲ茶瓶は?
 よくよく考えたらやっぱりおかしい。こんなのはアニメの話だ。田吾なら信じるだろうけど。
 で、そのブタオヤジはというと、黙っていた。それもそのはず、あろうことか制服のミニスカートから伸びるナナの白い脚を見て目を爛々と輝かせていやがった。

 このドスケベめ。
 でも、ある意味、こいつが最も冷静な判断力してんじゃね?
 あれだけ不可思議なものを見せられて、も動じていないんだから。
 んなわけないか。
 まぁ、エロヲタのことは除外して。

 他のメンバーは見せつけられた写真を時間渡航の証しとして、揺るぎの無い事実だと思い込んでいるが、俺の考えは今や反転していた。

 さきほどナナのやったのは、催眠術系のスピリチュアル操作さ。最初から言ってるだろ。手品さ。
 俺だってエンジニアの端くれだ。すんげぇ端っこの隅っこだけど、理科系の人間だぜ。こんな胡散臭い話にのせられるわけがない。
 子供の頃の淡い思い出は、どこからか得た情報さ──例えば俺の両親と会って聞き出してとかだな。記憶の中にある女性の面影は、それこそ『暗示』さ。写真はもちろん合成だ。で、危なく洗脳されかけたというわけだ。

 だいたい時間渡航など、どんなに科学が進歩しても絶対にあり得ない技術なんだ。俺や社長の子供時代に飛んで、俺たちの記憶をいや、歴史を変えて来ただと?
 は──っ、ヘソが茶を沸かすぜ。沸いたらそれで玲子よりうまい茶を淹れてやらー。

 俺が腹に乗せる茶瓶をどこから工面するか、給湯室へ行くべきか、食堂へ行くべきか思案する間もなく、ケチらハゲは納得した。
「ようは、隣の区域にあるコロニーの点火プロセッサーが起動されへんようにしたらエエんや」
「はい。そうです。簡単でしょ?」
 ナナは丸い瞳をくるりとさせて、朗らかに笑った。
 インスタントラーメンに玉子を一つ割り入れて、サービスだと宣言するメイドみたいな顔して。

「あ。そだ……」
 何かを思い出したのか、ナナは口をぽっかり開けて、目をぱちくり。透き通った黒い瞳を一人ずつに巡らせて言う。
「皆さんに注意することがありました。過去に関連する人物、中でもに自分自身と出会うことは厳禁です。決して顔を合わせないでください。これだけは約束です」

「なぜです?」
 尋ねるパーサーにナナはゆるりと身体を向け、
「未来の自分に出会ったという混乱した思考情報が、記憶を媒体として過去と未来とで反射しあい、水面を広がる波紋みたいに、感情サージと呼ばれる大きな衝撃波になります。それがずっと先の未来にまで伝わってしまうんです。これを管理者たちは自時震(じじしん)と呼んでいます。自時震が起きると当事者が自我崩壊を起こしたり、歴史が変わったりします。特に過去の自分に姿を見られたり会話をすることは厳禁です」

 そんな面白いシチュエーションが起きるのに、言われたことを守るヤツがいるのかね?
「中でもユウスケさん。お願いしますね」
 んげっ!
 こいつはテレパス機能搭載なのか?
 探るように見つめてくるナナの視線から逃れるために、天井に張り付いていたクラゲ野郎を探す。流動性金属になってから、あいつを球体と呼びにくくなってきた。プヨプヨと楕円形で宙をさ迷う姿はクラゲだね。

 空飛ぶクラゲは、天井の隅でつまらなさそうに体を伸ばしていた。恐ろしく理解力の無いヒューマノイドに愛想を尽かして、次の展開を待つかのような姿だった。

「ここにもゴキブリが潜んでるぜ……」
 と、漏らす俺の声が伝わったのか、ヤツはぷよんと体を揺すって見せた。

「ねぇ。ちょっといい?」
 不意に玲子がその美麗な顔を上げた。
 最も不得意とする話しが続き、退屈していたのだろうと思っていたが、一応、頭は動かしてはいたようだ。

「あなたは過去のあなたに会わないで、どうやってエンジン点火の作業を交代するの?」
 なるほど。俺も気づかなかったが、言うとおりだな。
「そうだ、そうだ。今お前は過去の自分に会ってはいけないと言ったばかりだぜ」
 俺はヤジを飛ばす舞台隅のガヤのように、大きな声で嫌味っぽく言ってやる。

 ナナは笑顔のまま俺に澄んだ目を転じ、
「ワタシには感情サージが起きないメカニズムになっていますので、ワタシが過去のワタシに出会っても何も起きません」
 あっさりと言い退けやがった。
 何かこっちが恥ずいじゃないか。

「わかったがな。そのゴキブリ退治、特殊危険課が手伝いますワ。ほんで過去のおまはんが一人きりになるのはいつや?」
 たぶんこれが社長の出す最後の質問だろう。誰もが止めることはできないほどにやる気満々だった。

 あぁぁ。これでまた特殊危険課が借り出されるんだ。
 やるせない溜息の前でナナが力強く言い切った。

「過去のワタシが最後の点火チップを使う少し前です。このときに今のワタシがエンジンを掛けてしまえば、ドゥウォーフの若者は隣のエンジンシステムへ行く必要がなくなります」

「む~~~。なるほどな」
 ケチらハゲは腕を組むと半信半疑の眼差しでナナを見つめて唸り、天井の隅ではシロタマがもそもそと体を揺らした。

 さっきからあそこにゴキブリがゴソゴソしてっけど、どうする? 先に退治しとく?



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