【星屑の囁きみたいに些細な出来事】 作:雲黒斎草菜(利用規約


この物語はフィクションです。実在のよく似たタイトルの作品・土地・人物・団体・事件などにはいっさい関係ありません。

『星屑の囁きみたいに些細な出来事』【第一章:旅の途中】 作:雲黒斎草菜
2016年 12月29日(木)

居酒屋にて


「今日はお手伝いありがとうございました」
 女子寮の前で、戻って来た俺たちだけでなく、若手の男性社員にも丁寧に腰を折るナナ。連中には大サービスの振る舞いだろうな。ナナファン倶楽部冥利に尽きるというもんだ。

「こういう時は、みなさんにねぎらいの意味も込めまして、お食事をご馳走する習慣があると玲子さんに聞いたのですが。いかがでしょう?」
 おお。玲子の教育も行き届いているな。

「いいっすね。ぜひご一緒したいです」
 と銀縁メガネの男子が言い。
「ファン倶楽部の会員としては、この上もないサプライズです」と丁寧に頭を下げる、もう一人。

 体育会系の玲子としては、こういう場面で黙っていられず、すぐにしゃしゃり出てくる。
「よっし。じゃあさ。町まで繰り出して、『赤・村さ木』へ行こうよ」
 と言った途端。一瞬で空気が澱んだ。

「あ、っとそうだ、ナナさん。ゴメンナサイ。重要な会議がこの後会社で有りますので、残念ですが、ボクはこれで……。また別の機会にご一緒させてください」
 さっきまでぜひにと言っていたメガネ男子も頭を下げ、
「あ、そうだ。オレもそれに出ないといけないんだ」

「あら。どうしたのよ。今日はお休みなのよ?」
 空気が変わったのはお前のせいだよ、玲子。

「申し訳ないです。レイコさん。開発部には休日も平日も無いのですよ」
 詫びるように頭下げるメガネは、玲子にそう言うが、
「この人は、毎日が休日よ?」
 って、こら! 俺を指差すんじゃない。
 きょとんとするナナを残して、男性陣はさっさと女子寮の裏にある会社の敷地内へと歩み去った。

 それを訝しげに見つめながら、
「なによ、感じ悪い。あたしの杯さかずきが受けられないとでも言うのかしら?」
 お前は気づいていないかもしれないが、お前が言うる杯だけどな、世間一般ではドンブリと呼ばれる物だ。

「こんな美人が二人も相手するのにぃ。なんで?」
 俺に訊くな玲子。
 はっきり言ってやりたい。できることなら俺もすぐに帰りたい気分だよ。でもそれではナナが可哀そうだ。

 悄然とするナナの肩に手を添える。
「気を落すな。連中は仕事の鬼なんだ。あつらが将来の舞黒屋を背負う柱なんだよ」
「んダな。エリートたちダすからな。あの人らの分もオラがご馳走になるダよ」
 そう、玲子に対する人柱は俺たちがなる。それが特殊危険課の定めなのさ。

「そうなのですか……。たいへんなんですね」
 大変なのはこれからなんだよ。ナナくん。



「玲子。どこで飲む? いつものところでいいだろ?」
「あなたの好きなところでいいわよ。居酒屋が楽しくていいんじゃない? それとね、ちょっと聞きなさい」
 俺たちに何か釘を刺す気のようだ。

「せっかくだけど、今日は割り勘よ。この子はまだ給料日前で、社長からお小遣いと言って少しは貰ったみたいだけど、ここの支払いが出来るほどじゃないからね。わかってるわね?」
 ケチらハゲがナナに渡した小遣いなんか聞かなくってもよく理解している。
「ああ。ナナにご馳走になるつもりはないよ」

「そんなこと言わないでくらさぁい。ワタシが御馳走しまーす」

「よし、こうしよう。最初の乾杯分だけナナにご馳走になろう。それでいいなナナ?」
「あ、はーい」

 とまあ、平和的に話はまとまったのだが、先にこれだけは報告しておこう。
 ケチらハゲから貰ったナナの小遣いは、四人分の中ジョッキの代金にも満たなかった。
「ったく…………」
 ドケチにもほどがあるぜ。




「玲子さん。居酒屋ってどんなとこですか?」
「ま、ひとことで言って楽しいとこね」と言うが、
(お前さえ暴走しなければ楽しいとこだ)
 心の叫びをここで添えておこう。

「楽しいとこ好きでーす」
 ナナは遊園地かどこかと勘違いしているようだが、玲子はさらりと説明する。
「楽しいの意味が違うけどね。まぁ大人が集まる場所だから、勉強になるわよ」

 超金持ちのくせに、こいつのいいところはそれを表に出さないところだ。すごく自然なんだ。成金野郎と違って、本当の金持ちは、金があることを前面に押し出さない。なので、あんなレジャーランドに住んでいたことなど、これまで微塵も感じさせなかった。そんなオンナなので安い居酒屋でも気にもせずくっ付いて来るし、平気で焼き鳥の串なんかを咥えて俺に話しかけるところなんか。ちょっといいよな。

 そういうわけで、今日もここ、居酒屋『赤・村さ木』だ。


「へぇ。こんなお店に入るのですか? なんだかワクワクしますね」
 純真無垢と言うか、ピュアと言うか、無邪気にはしゃぐナナは可愛い。
 だけど店に入るなり、眉根を寄せてこう言った。

「みなさんはこんな薬物を摂取して楽しむのですか?」

 こう言いだしたのは、従業員によってボックス席へ誘導されるまでに他のテーブルの光景を見たからで、彼女が疑問を持ったのは、音楽とは別のトランス状態を作るのに薬品を口から摂取していたことに対してだ。ヒューマノイドとは恐ろしく程度の低い生き物だと思ったらしい。

 ところが、そのうちに何がなんだか理解しがたい感情が身を包みだしてきたと言い始めた。
 その訴えを聞く数分前のこと。

 中ジョッキが4つテーブルに並び、それぞれが手に持っていた。もちろんナナも真似をして両手で握り締め、成り行きを見守っている。
「では──」
 ぴちぴちのショートパンツから健康的な素足をぬんと伸ばした、萌え系美少女二人が大型銃器を構えた、カッコいい店の販促ポスターが張られた個室。そのど真ん中に陣取ったテーブルに腰掛けた俺たちに向かって、おもむろに玲子がジョッキを掲げた。

「ナナの秘書課配属を祝しまして……。あ、ちょっと。あたしが音頭取ってんだから、乾杯しなきゃだめでしょ、何やってんのよ、裕輔?」
 そうは言うけれど──。
「こいつにアルコールなんか飲まして大丈夫なのか?」
 乾杯の前に急いで中断したのには理由がある。

「まさかと思うがナナ。お前酔ってる?」
「ううん」
 フルフルと長い黒髪をなびかせて否定するが、やけに心許もとない動きをしていたからだ。

 他所は知らないが、アルトオーネでは飲酒の年齢制限は20歳からだが、こう見えて、ナナは3500才を越えると自己申告していたので、そこはパスする。
 俺はそんなことを懸念に思っているのではない。

「アルコール?」
 グラスを持ち上げ、浮き上がる泡を珍しそうに下から覗き込むナナ。
 黒い瞳が鼻の頭を見るように中央へ寄って、泡を追い掛ける仕草はよけいに幼く映るが、どうも動きが鈍い。ふわふわとした感じだった。
 そして言う。
「アルコールというのわー。この炭化水素原子をヒドロキシル基に置き換えた水溶液のことれすかぁ?」
 もしかして言語品位が落ちていないだろうか?
「なんらか、ふわふわしゅるんれすけど」
 シロタマと変わらない口調が気になる。

 俺の心配をよそに、さっきからポスターの女の子の脚ばかりを凝視していた田吾が、ようやく前を向いてグラスの先でナナを差した。
「とりあえず呑めばいいダすよ。ほら、オラと一緒にイッキするダよ」
 言われて意味解らずキョトキョトするナナへ、自分のビールグラスを近づけて大きな声を上げた。

「それ、イッキッ! イッキッ!」
「こらー。田吾ぉ! けじめをつけて、ちゃんと乾杯しなきゃダメでしょ。イッキはその後、あたしも参加してあげるから」
「いや。イッキは体に悪いからやめるダ」
 田吾はナナに向けていた笑顔を反転させてジョッキを下ろし、俺は不安感を露わにして訴える。
「ちょっと待ってくれ。アンドロイドにビールなんか飲ませてだな。酔って暴れられたらそれこそたいへんなことになるぜ。店の土台ごとひっくり返されたらどうすんだ」
 別テーブルに座る客の真似をして、ジョッキを口に持っていこうとするナナの腕を慌てて止めた。

「やっぱ、お前は飲むな」

 尖らせた小さな唇をジョッキに当てる寸前で取り上げられたナナは、焦点の合っていない丸い目でジョッキの行方を追い掛けた。
「ねぇぇ。酔ぉうって、何れすかぁ?」
 どう見ても酔っていた。一滴も飲んでいないにもかかわらず、ロレツが廻っていない。

「返しれくらさぁ~い」
 取り上げられたビールへ手を伸ばそうと体を密着してくるが、酔ってふらついた姿勢は安定させることができないらしく、そのまま俺の腕の中に転がり込んだ。

「お、おい。ナナ。こぼれるだろって、こ、こら」
 究極の柔軟ボディ。まさに生身の身体。気色良い。

「ねぇぇ~、あラしのび~る~」
 ナナはまるでじゃれる子猫のように俺の胸にすがりついた。

「ちょっとナナ。裕輔から離れるダ。喰われるダよ」
 喰うか。お前こそフィギュアのモデルにしようとしてるんだろ。

 ナナの仕草が田吾には面白くないようで、
「離れるダ。もう!」
 小太りの体を前へ伸ばし、俺の腕からジョッキを取り上げ、ナナを引き剥がしに掛かった。
 この状況を片眉を吊り上げて見ていた玲子も、先輩風を吹かせて咎める。
「ナナやめなさい。お酒に酔うなんて秘書課の恥さらしよ。ほら、あなたの代わりにあたしが呑んであげるから」
 田吾の手に渡ったジョッキをさらに奪うと、ぐーっとイッキに飲み干し、

 タンッ!
 ジョッキの底でテーブルを叩く底が抜けた酒樽オンナ。
 いくら酒を入れても満杯にならないから、玲子を知っているヤツはだいたいがそう呼ぶ。

 今日も相変わらず、豪快な飲みっぷりだ。だけどここで拍手をして称えてはいけない。

「ぷふぁぁぁ」
 玲子は、色っぽい仕草で口元に付いた泡を指の腹で拭い、
「さあ、あなたたちも飲み干すのよ」
 これまで何度も言ってきたが、こいつはツワモノと言われる部類に入る。うかうかしていると、こちらのほうが呑み潰されてしまう勢いで襲ってくるので、とても怖いんだ。

 一つ付け加えると、秘書課の連中は全員が酒に強い。それはなぜか。あいつらの仕事柄、社長のお供でそのような会合に出席することもあり、酒好きな他社の経営者から無理強いされることも珍しくない。だからといって、秘書が酒に飲まれて失態を演じるなど、絶対にあってはいけない事で、そのような経緯もあり、酒豪たちが集められたのだ。

 中でも玲子の強さは有名な話さ(──酒だけではないが)セレブの集まるパーティに出向いたケチらハゲと玲子。二人で50人の社長とワインを飲み交わして、途中でへべれけになったハゲを寝かせておき、すべての人物を相手にした後、ハゲオヤジを担いで帰ったという伝説がある。

 ここまで来ると、ある意味、ケチらハゲが羨ましい。

 ほくそ笑んでる俺の向かいでは、田吾が不安げに玲子の行動を窺っている。
「玲子さんは底なしだから……」
 今度は自分のビールジョッキを口元に傾ける玲子。
 田吾はみるみる空となってしていくジョッキを怯えた目で追いかけて、玲子はジョッキの底を寄り目で睨み、息継ぎ無しでどこまで行けるか挑戦中。俺はというと、水源地の底を睨むダムの監視員みたいな気分でその光景を眺めていた。

 再度、音も高々にジョッキをテーブルに戻した玲子。
「何やってんの? ほら、あなたも呑み干すのよ」
 まるで砂に水を撒いたようだった。

「おい。田吾はさっきからもっと強い酒を呑んでるんだぜ。お前も少し控えろよ」
「なによぉ。この子には呑まして、あたしには呑まさないつもり?」
 ほうら、絡んできた。

「お店のヒトぉぉ! ビールお代わりね」
 空ジョッキを指で吊り下げ、くるりと回し、
「もっと大きいのないの?」
 おいおい。

 店員は「マンモスジャンボジョッキがあります」と言い、ついでに本気かどうか知らないが、「よろこんでー」といつもの気勢をあげて戻って行った。


 玲子はほんのり桜色になった頬に手を当てて支えると、けだるそうに残った腕を伸ばして言う。
「ほらぁ、ヲタ! 舐めてないで呑めよー」
「気の毒に……」
 俺はテーブルに肘を突き、伸びてきた顎ヒゲを指先で弄もてあそびながら、田吾がこの難所をどう乗り越えるか、横からすがめて見学だ。

「オラのはビールじゃなくてアルコール度数の高いヤツダスよー。一息に飲むものではないダ」
 こいつも酒好きではあるが、強制されて飲むのは誰しも嫌いなわけで、
「じゃあ、あたしも同じのを飲んであげるわよ。こっちに注いでよ」
 俺が飲み干して、置いてあった空のビールジョッキを掴むと田吾の前にでんと置いた。

「え────っ。玲子さんやめるダよ。お酒はゆっくりと楽しむもんダすよー。強制はダメだす」
 たった今、ナナとイッキ飲みしようとしていたくせに、よく言うぜ田吾。

「じゃあ。裕輔が付き合いなさい」
 おーい。矛先がこっちに向いちまったじゃねえか。
 敵を狙う主砲を旋回させるみたいにして、玲子は俺の正面に身体を合わせた。

「この酒はビールジョッキで飲むもんじゃねえ。お前も女ならもう少し控えめにしろよ」
「何よ! あたしとセクハラ議論でもしようっての? 片腹痛いわね」
 しませ──ん。そのテーマでお前に勝てるヤツはいませーん。
 でもって最後は腕力でもモノを言わそうとすたるんだ。

 そこに落ちてきたこの声。
「オマエらまたここに集って(たか)ってんのかよぉ」
 俺たちをハエみたいに言うヤツは誰だ?

「対ヒューマノイドインターフェースだじぇ!」
 しばらくナリを潜めていたが、その声はシロタマだ。頭上からアイロンで押さえつけてくるような重圧を感じたので言い返す。
「ここはロボットの出入り禁止だ!」
「なんれれシュ。ナナも入ってんぢゃないかー」
「まともに喋れないヤツは入っちゃいかんのだ」

 俺の頭の上でホバリングを続ける丸い球体に言ってやっている横から、クタクタになったナナが倒れ込んで来た。
「ねぇぇぇ。なんれ、あるこぉうるのみゅにょ(飲むの)れすかぁ?」
「ほらー。ナナらって喋れてないらろ?」

「さっきまではしっかりしていたんだよ」
「何時何分、何秒だよー?」

「お前は小学生かっ!」
「違うわい!」
 白い球体は引き下がる様子は無い。

 もう一度言おう。名前をシロタマ。
 白い球体だから社長がそう命名した、いけ好かないヤツだ。

 ほんでもって、こいつも生命体ではない。
 どういうわけか俺の周りには生き物でもないヤツがでかい顔をして困る。
 そういう星の下に生まれて来た悲運の持ち主なんだろうな、俺は。

「なぁユースケぇ。毎晩くだないモノ飲んでよく飽きないもんでちゅね」
 舌足らずのくせに、二階から物を言うみたいな口の利き方をするこいつは、ついこのあいだまでは白いテニスボールに似た形をしていた。だが前回の漂流事件以来、流動性金属というますます訳のわからない物体に変わり、色も白から銀色に変化。ますます金属ぽいのだ。

 その理由を説明するのは、この酒の席では困難極まりないので割愛する。どこかその辺を探してくれ、何か見つかるだろう。

 でも一つだけ言わせてくれ。流動性金属とは社長が勝手につけた名称で、つまり金属でありながら流動体のように柔い物だ。それをシロタマが丸く輪郭を維持させているだけで、気を許すと楕円になっちまうらしい。
 ロボットが気を許す──なんとクソ生意気なことをほざくんだろ。
 ついでに知らせておこう。ボディが柔らかくなったからと言っても態度は何も変わらない。むしろますます口が悪くなったと言っておく。

「キャハハハハ」
 脳天を痛く突き刺してくる甲高い笑い声。
 こいつは笑うこともできるし、時々ブラックジョークまでもぶっ放す機械なのだ。

「お待ちどうさまぁ」
 と運ばれてきたのはワゴンに乗った巨大ピッチャーに入ったビールだった。
 誰が飲むの、これ?
 思わず目を剥く代物だが、玲子はそれに色っぽいい唇を当て、早速ぐびりぐびり。
「ほらぁー田吾も呑みなさいよ。どっちが先に空にするか競争よ」
 お前とは一切何事であっても競い合いたくない。
 よせばいいのに、田吾はその気になって、自分のグラスを大きく傾けた。

「キャッハ! レイコのアルコール許容量はまだ60%もあるのに。キャハハハ~。田吾はあと10%でしゅ。ぎゃんばれ~。殺されるな~」

 俺……無言。


 重い溜め息を吐いて、空中の浮遊物シロタマに言ってやる。
「おい、くだらねぇ分析するなよ、タマ……うぉ!」
 いきなり肩を強く引かれて、後ろに倒されそうになった。あわてて体勢を立て直すと同時に生唾を飲む。
 ナナの大アップだった。
 首が定まらない可愛い顔をフラフラさせて迫ってくる。

「ねぇねぇ、よぉぉうぅって、なんれすかぁ~」
 結局、ナナの乾杯はうやむやになり、俺たちだけで進行するという、いつもと変わらぬ飲み会に変貌していたのだが、こっちはこっちで、いよいよまずい。
 ナナは首のジョイントに力が入らないらしく、静止できない頭をふらふらと揺らしながら、さらに顔を寄せて来た。

「よぉうぅぅおぉってぇ~? ねぇぇ、こまんらー」
 何が言いたいのか、酔うのか、用なのか、覆おう、のか意味不明。

「ぬぇぇぇぇ~、こまんらぁー」
 俺の鼻にくっ付くほどに迫るナナの顔を無理やり引き剥がし、こいつも酒癖がよくないな、と懸念していたら、焼き鳥の串を口で咥えた玲子が、それを上下に振らしながら、酒のボトルを近づけてきた。

 注文した特大ピッチャーをいとも簡単に飲み干した玲子。今度は俺が頼んだ酒のボトルを握りしめて、
「ん~」
 串の先で俺のグラスを示すと、下唇を小さく突き出し、それを空にしろと命令じみた仕草をした。
 マジで底が抜け落ちた酒樽だ。
「わかったよ。飲むよ」
 虎に暴れられても困るので、おとなしく従うことに。

 少しだけ口に含み、グラスの縁ふちに隙間を作ると、
「はい。飲んで」
 すかさず酒を注いできた。

「お……おい」
 これがこいつのやり口だ。断り切れないでいると、あっという間に撃沈される。これでは拷問に近い。

「なぁ、ゆっくりやろうぜ。酒は楽しく呑むもんだぜ。強制はやめろよ」
 田吾が吐いたセリフを復唱する。

「何言ってるの。コレぐらいのお酒に呑まれてどうすんの」
「俺は開発部の人間で秘書課じゃねえって。あっ!」
 言い返す隙を狙って。グラスが再び酒で満たされた。

 飲みっぷりは変わらないが、初めて二人で酒を交わしたときはもっとサバサバしていたはずなのに、最近やけに絡んでくる気がするのは、どういうことだろう。

「ふんっ。前の見えないヤツ……」
 シロタマは意味不明の言葉を吐くと店の天井に張り付いた。
「今なんてったんだ、タマ?」
 それよりも──。
「そんなとこに張り付いてると、店の人にゴキブリと間違えられて殺虫剤撒かれるぞ」

「シロタマはここの常連だからいいのよ」
「あがっ!」
 玲子にいきなり首をねじられた。危なく首の筋がおかしくなるところだった。
「荒っぽいなぁ」
 愚痴の一つも出ると言うもんだ。
 ったく、顔とプロポーションは抜群のクセに、中身はまるで男だからな。

 女の面した壊れた酒樽は、「ほら」とほとんど空になった自分のグラスをぐいっと俺に突き出し、
「注ぎなさい」
 女王様かよ、と文句を垂れるものの、なぜか逆らえないのは、やはりこの美貌だろうな。

 少しは酔ってきたのだろう、桃色の頬がまた美形の彩いろどりとなって、美しさの中にも色っぽさが滲み出ている。見ている分には申し分ない。
 これは俺が酔ってよく見えないのではなく、実際、まれに見る美人なのは確かだ。
 去年の全国会社対抗女子制服コンテストでもそうだが、こいつがモデルを務めてから三年連続でうちの会社がトップなのだから、世間一般でさえも認めたことになる。
 今年はナナを引き連れて出るだろうから、おそらく二位との差がさらに開くことになるはずだ。

 ──だから逆らえない。
「かしこまりました。お嬢さま」
「えへへへへ」
 艶やかな頬をさらにピンク色に染めて、かなりご機嫌なようすだ。

「ほら。あなたも飲みなさい。休んだら駄目よ」
 と酒樽女は田吾に発破を掛ける。

 あーバカ、田吾。玲子の言いなりになるんじゃねえ。
 空になった酒瓶が、いち、にい、さん……。

 おーい。飲み過ぎだ。明日は仕事なんだぜ。
 大人のくせに胸ポケットから、アニメのフィギュアを覗かせているし。
 つくづくお前の友人を辞めたくなるぜ。

 俺の嘆きなど酔っ払ったブタには通じない。
 目の前にあるグラスをひっ掴むと、玲子に見せびらかすように傾け、
「呑んれるダすよぉ。ほら。かんはぁ~い」
 せっかく水の入ったグラスと替えてやったのに、意識がもうろうとしていて、その区別がついていない。
 田吾は酒が満たされたほうのグラスを口に当て、ぐいっと飲み干し、
「レイコしゃんものむラすよぉ。ほぉら」
 彼女のグラスに酒を注ごうとするが、それをほとんどテーブルにまき散らす醜態を披露した直後、ばたりと崩れた。

『キャハハハハーッ! 一機撃墜でしゅぅ!』

 玲子もシロタマにピースサイン。
「これしきのお酒で倒れるなんて、ヲタなんかちょろいわね」
 そして今度は、獲物を見つけた猛禽類みたいな鋭く光る目で俺を射抜き、
「ほら。あたしのグラスは空よ。あなたも空になさい」
 女王様は自分の空のグラスを俺へと向かってぐいっと突き出した。

 こんな調子で呑んでも明日の朝は平気の平左、ケロッとした顔で出勤して来るはずなのだ。彼女のペースに持ち込まれるとマジで死人が出る。

 危ねぇ。危ねぇ。
 グラスに口をつけてチビチビとやる俺の袖を、再びナナがくいくいと引っ張った。
「ねぇ~~。ユースヘぇ~。よぉぉぉぉっれ、なんれすかぁ~」
 まだ言ってんのかよ。

「今のお前の状態が酔うってことだ」
「な~に言ってんれすかぁ~。あ、ら、しわぁ──。れんれんよっれいまへんよ──だ」
 言語品位がレベル1以下になっちまってんぜ。元に戻るんだろうな?

 今だに一滴も呑んでいないのに、田吾に続いてダウン寸前である。目の焦点が合っていない。濡れた瞳の見つめる先が俺の顔を通り越して、後ろの壁に向けられている。

「タマよ~。アンドロイドってこんなに酒に弱いのか? ナナは一滴も飲んでないんだぜ」
 俺の心配を他所に、ナナはフラフラする手でピーナッツを口に運んでは「コリコリ」といい音をあげた。
「ピーナッツ喰うって……。あいつ、歯があるんだ」
 アンドロイドは口に物を入れないのが世の常識だろ。でも前からずっと気がかりなのは、こいつは平気でそれをやっちまう。ということは消化器官があるのだろうか?
 そうなると、もはやアンドロイドではないだろ。

 完全に動かなくなった田吾の頭上で囃し立てていたタマが、ぷよぷよしたボディを浮遊させて来たので訊いてみる。
「なぁタマ。なんでナナは飲んでもいないのに酔ってるんだ? それと物を食っても大丈夫なのか?」

 ふありと俺の目の前で静止すると、シロタマは報告モードに切り替わり、
『彼女には繊細な人工嗅覚デバイスが装備されています。その部分からアルコール分子が侵入し、バイオ器官を侵したのだと推測されます。それとナナには消化器官はありません。したがって、口から入れたものは内部のタンクに溜められ、まとめて廃棄されます』
 居酒屋ではとても場違いな、冷然と感情の無い声だった。

「でもよぉ。田吾に聞いた話だけど、たまにパンを買ってるって言ってたぜ。無駄に捨てるだけなのになぜ食べるんだ?」

『食べ物を摂取し、舌にある数千のセンサーからデータを収集して学習する行為だと推測します』
「匂いも食感も学習できるのか。すげぇな」

『食感だけではありません。味としてのデータも解析していますので、食べた料理を寸分なく再現して調理することができます』

 その説明は正しいと認めざるを得ない。ドゥウォーフの村で餓死寸前の時、ナナが作ったサンドイッチは特別うまかった。あれは腹が減っていたからではないことを保証する。

「やっぱりメイド機能が備わってんだな」
 恐るべし。管理者め。

「どわぁ!」
 突然、力の抜けたナナが、垂れ下がるように俺の背中に寄りかかってきた。
「ねぇ~ってばぁ~。なにをお話してるのぉぉ~? ユースヘぇ~」

 一滴も飲んでいないのに、すでにナナは腰にきていた。まともに座ることもできず、テーブルの上で突っ伏している。こうなると他の席から注がれる視線が痛い。ヲタと美少女を酔いつぶしたなんて、まるで俺が悪人のようだ。これ以上騒ぎが大きくなってナナが人間でないことがバレるとまずい。

 ケチらハゲの怒った顔が過ぎったのは、俺だけではないようで、
「仕方がないわね。帰ろ」
 すくっと、揺らぐこともなくしっかりとした足取りで玲子が立ち上がると、お開きを宣言。そして告げる。
「秘書課の恥さらしは、あたしが何とかするわ」
「そうか頼む。田吾は俺が連れて帰る」
 そして懸案事項を伝える。
「ナナを酔わしたことは社長には内緒でいこう。どうもナナのことを孫娘みたいに見ているところがあるので、こんな醜態にさせたことがバレるとどやされるぜ」
「わかった。二人だけの秘密ということにするわ」

 一つの秘密を二人で共有すると、やけに新密度が上がるもので、胸の辺りがむず痒く感じる。と思うのは俺だけかもしれないけど。

 ちなみにシロタマは呆れて先に帰っていた。もちろん玲子のマンションにだ。


 玲子はナナをおぶって、俺はくたくたのサンドバッグみたいになっちまったブタを引き受け帰宅。俺と同じマンションのヤツの部屋に放り込んだ。
 呑むなら呑まれるな、だ。今夜は貸しだからな、田吾。




 次の朝。玲子とナナはケロッとした顔で出勤しており、そして案の定、田吾は午後になるまで蝋人形みたいな顔で社内をうろついていたのは言うまでもない。まぁ出勤して来ただけでもたいした奴だ。

 ちなみにナナは昨夜の記憶が一切残っていないとのことだ。電子の動きまでも変えてしまうアルコールとは、まことに怖いものであるな。

 ところで、くどいようだが、あいつは一滴も飲んでない───。



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