【星屑の囁きみたいに些細な出来事】 作:雲黒斎草菜(利用規約


この物語はフィクションです。実在のよく似たタイトルの作品・土地・人物・団体・事件などにはいっさい関係ありません。

『星屑の囁きみたいに些細な出来事』【第一章:旅の途中】 作:雲黒斎草菜
2016年 11月26日(土)

 夢の社員旅行


 遡ること数ヶ月前──。

「こんなとこでモタモタしてっと社員旅行に置いて行かれるぜ? みんな先にイライザへ出発してんだろ?」
 俺は無性に苛立っていた。なぜならこいつが横にいるからだ。
「イライザって? あたしはなにも聞いてないわよ」
 艶のある美しい黒髪を肩から胸の前に重く弛ませ、婦人雑誌に目を落していた女が顔を上げた。

「だってそういう話だぜ」
 通路を挟んで俺の隣、秘書課の制服を着たオンナだ。頭ひとつ俺より背が低くく、小柄でありながら誰もが目を奪われる艶かしい体型と整った顔立ちをした美形。どこの誰が見ても美人だとカテゴライズされるべき特徴をすべて完璧に併せ持っており、今も強烈に美しい脚を大胆に組み、タイトなミニスカから惜しむことなく曝け出す、そんな目のやり場に困りそうな美人が隣に座るというのに、俺の体が強く拒否の姿勢を崩さないのには理由(わけ)がある。

 こいつが登場すると、ろくなことが起きないからだ。
 ビル街で銃撃戦になったり、コンピューターの疑似世界に放り込まれたり、ヤバ系のヤカラに囲まれたり、とにかく無事に済んだことが無い。そんな理由だから俺が懐疑の眼差しで見るのは仕方がない。

 奴の名は『玲子』。
 生意気に社長の秘書だ。だから秘書課のカッコいい制服を着込んでいる。

 そんなオンナを胡乱な目付きで睨む俺は、そこの開発課のエンジニア……の下っ端を務める25才、独身男性だ。『裕輔』と呼んでくれ。
 上の名前?
 そんなことは重要ではない。重要なのは社員旅行に間に合うかだ。

「ねぇ……。何で旅行先がイライザだって、あなたが知ってるの?」
 革張りの背もたれから上半身を引き離した玲子が豊満なボディを悩ましくくねらせた。
「なーんだ。社長秘書がそんなことも知らないのか。俺の情報網のほうが上だな。社員旅行は南国にあるイライザの保養所に決まったんだよ。それよりなんでお前がここにいるのかの理由が知りたいぜ」

 玲子は興味深げに顔を近づけて尋ねる。
「それ、どこの情報よ?」
 そんなことお前に言えるか、ばーか。

「秘密だ。言わん」
「はんっ!」
 ヤツは大きな鼻息を一つ吹き──人前では決してしない仕草の一つだが、俺の前では仮面を脱ぎやがるのさ。
「どんな情報だか……」
 嘲笑(あざわら)いにも近い笑みを口の端に寄せて、再び座席に背を預けた。

 今の笑いに意味があるとは思っていない俺はとにかく尋ねる。
「それよりなんでお前が一緒に行くんだ? お前は秘書課、俺は開発課だぜ」
「下っ端だよ」
 うっせーな。ほっとけ。

「なぜこんな小型ジェットで移動すんだ? 銀龍は?」
 玲子は読んでいる雑誌に説明する、みたいにして言う。
「知んない。ドックにでも入って整備してんじゃない。だいいち銀龍みたいな大型ジェットで行くわけないじゃん。燃料の無駄だし」

 うちの会社が自家用ジェットを所持するまでにのし上がったのは、社長があの手この手とセコイ商売をして結構稼いでおり、これ以外にも『銀龍』と呼ばれる超大型の機体も保有するほどの金持ちなのさ。

 そうそう。社長の名前がまだだったな。芸津(ゲイツ)って言うんだ。そのうち顔を出すと思うぜ。

 何の会社かって?
 舞黒屋っていうコンピューター系列の開発会社さ。その頭脳を受け持つのも社長で、とにかくムチャクチャなオッサンさ。でもそんな破天荒な性格が商品の開発トリガーになるんだ。これもおいおい解る。今は辛抱してくれ。


「そうだよな。あの『ケチらハゲ』が無駄な燃料使うわけないもんな」
「馬鹿。そんな言葉、社長の前で使ったらだめよ。クビ絞められるからね」
 ケチらハゲと言うのは社長に対する、まぁ。隠語というやつだな。従業員のあいだで密かに流れる憂さ晴らし的な別名なのさ。

 ちなみに『ケチらハゲ』とは『ケチ』で『ハゲ』だからそう呼ぶ。
 まぁ。楽しみにしておけばいい、マジでスキンヘッドでさ、すんげぇドケチなんだぜ。


「そんなことより、ちゃんと答えろ。なぜ秘書課のお前が一緒なんだよ? 俺はみんなといっしょに出発したいんだ。旅行ってさ、道中も楽しいもんだぜ」
「しょうがないじゃない。社長と共に行動するのが秘書の役目だもん」
「そこが分からん。お前と社長がつるんで飛ぶのはいいけど。何で俺らまで一緒なんだよ」
 そう。オレの後ろの席にはもう一人、同僚のヲタが乗っているが、今は関係ない。どうせアニソンでも聞いて人の話など聞いてないだろうから放っておく。問題は……、なぜ玲子が隣ででかい顔して雑誌を読んでんだ、と訊きたいのだ。

「そらそうでしょ……」
 玲子はばさりと雑誌を小型のテーブルに放り出し、片肘で体勢を支えると、やけに楽しげに乗り出して言う。
「いいこと。あなたとあたしは、『特殊危険課』の人間なのよ。行動を共にするは当然でしょ」

「何だそれ?」
 誰だってそう訊き直すさ。漫画みたいなことを言われりゃあな。
「社内では憧れの部署なのよ。あたしは嬉しいもん」

 部署だと?
 こいつは何を言いたいんだ?
 噴き上げてきた疑問を大きな爆音が掻き消した。ジェットエンジンに火が入ったのだ。徐々に甲高い音に変化していく。

 離陸間近というのに無性に落ち着かなくなってきたのは、得体の知れない部署名を玲子が口にしたからで、疑問が解けるどころか増えてるし。

「なぁ。特殊何とか課って聞いてねぇぞ」
 彼女はこともなげに答える。
「そらそうよ。社外秘の部署だもん。表向きあたしは秘書課。あなたは開発。でも実態は社長の特殊部隊よ。どう? かっこいいでしょ」
 再び体を乗り出して、キラっキラの目で俺を見た。

 子供かっ!
 思わず突っ込みたくなった。

「だからー。部隊って何だよ?」
 瞬間、ヤツはその瑞々しい朱唇を逆三角形にし、そして平然とくだらんことをほざく。
「危険をかえりみず、会社のために謎を解く部署よ。あなたバカなの」
「……はぁ?」
 力が抜けたぜ。そんなモンをまじめに言うお前のほうがバカだね。

「放っといてよ。あたしはカッコイイって思ってるんだもん。他の子も憧れてるわ」
「んなわけねえよ。俺たちは社長の遊び友達か。情けねえぜ」
「遊びじゃないわ。真剣よ」
「真剣に何をするんだよ?」
「えっ!?」
 瞬間、目を丸めやがった。意外とキレイに澄んだ目だったのでこっちが息を呑んじまった。

「ま、まぁ。いいんじゃない。社長のお供だから遊びでもさ」
 玲子は急激に語調を緩めた。
 今のは何かを誤魔化したみたいだが、次の言葉で俺は考えを改めることに。
「あなたの好きなマナミも言ってたわよ。かっこイイってさ」
「えっ。マジ? そうか。むふふふ。それならまんざらでもないな……へぇぇ」

 そう言われれば、これまで何度も俺は危険なことをやり遂げてきた。あのケチらハゲは、お金になると思えばどんな危険でも冒すオッサンだ。んで、さらに輪を掛けて危険大好きなのはこのオンナだ。多種目に渡って大勢のアスリートたちが真っ青になる運動神経はそのために備えもっているんだ。

 そうか……。
 マナミちゃんも危険と隣り合わせの男を好むのか。玲子にどう思われようと気にはしないが、マナミちゃんの前ではカッコよくありたいな。

「ん?」
 今あいつの口が、またもやせせら笑ったように見えたが?
「何か言ったか?」
 と、訊いた俺の声が、エンジンの甲高い音にかき消されてしまった。

 ま、どーでもいいか。
 鼻から息を吐き、肩から力を抜く。細かなことを気になんかしていられない。
 座席の背を掴んで体をよじり、後ろに座るヲタに声を掛けた。
「お前は知ってたのか?」
 脂肪過多の丸っこい体型をしたアニヲタで本物のオンナには興味を湧かさない男。恥ずいが、俺の旧友で『田吾(たご)』と呼ばれる男だ。

 角ばった顔に掛けられた四角いメガネのレンズが脂ぎっていて、レインボーカラーの油膜が広がっていた。自然に油分の蒸気が皮膚から滲み出るんだろうな。そりゃこの体だ。
 田吾はカツサンドのカツみたいに座席へすっぽり収まっており、案の定ヘッドフォンからアニソンの音をシャカシャカと漏らしていた。

「おいおい……」
 社長専用機はゆったりした設計であるはずなのに、こいつの座席だけ子供用かと見紛う窮屈さだ。

 こっちに気付いた田吾はヘッドフォンを片ほうだけ外すと、メガネの奥にある小さな瞳を上目にした。
「何だスか?」
 方言丸出しのこいつは、俺たちとはだいぶ価値観がおかしい。ファッションもスタイルも何でもいいらしい。ただし萌えに関しては異常なこだわりがあり、とってもついて行けたものではない。

「お前は配属の件、知っていたのか?」
「んだ。知ってたよ」
 とだけ言うとまたヘッドフォンを耳の穴に押し込んだ。

 腑に落ちん……。

 俺は革張りの座席をゴワゴワと音を出しながら元の体勢に戻すと、玲子の横顔に尋ねる。
「なんで、こんなメタボヲタが『危険何とか課』なんだ? 足手まといになるだけだろ?」

 玲子は雑誌に目を落としたまま「特殊危険課よ」とひと言垂れてから、黒い瞳と顔をこっちに向けた。
「あのね。こう見えても、田吾は無線技師の免許を取った、れっきとした銀龍のクルーなのよ。いわば機長やパーサーと同じプロなの。あなたはただの平社員。あたしは社長秘書とこの特殊部隊のリーダーよ。どう? 上下関係がわかった? ここでもあなたは下っ端だかんね」

 くー。腹立つなー。
「あのな! 部隊って、ここは軍隊じゃねぇんだ。知るかそんなの。お前はたんに運動神経が異様に発達しただけの女じゃないか」
「裕輔、覚えておきなさいね。体育会系の上下関係を叩き込んでやるから!」
「うっ!」
 こいつは男を男と見ない度、社内一なのだ。今だって俺たちを呼び捨てにするこの傲慢な態度。これだけの美貌でありながら、誰も手を出そうと、いや近づこうともしないのは、この性格が災いしてんのさ。

 男なら一発ギャフンと言わせてやりたいところだが、こいつは格闘技全般師範代の腕を持っていて、世間でいうヤバ系と言われる人種であろうと平気で喧嘩を売る女なのだ。しかも絶対に負けない。運動神経だけが突出して進化したスポーツ馬鹿なのさ。中でも剣術とスポーツ射撃に関しては右に出るものはいない、馬鹿を超えてしまって、尋常でない腕前は次期オリンピックの射撃選手に推薦されたんたが、本人はサラッと辞退して、とんでもない宣言をしたんだぜ。

『あたしは社長の身を守るためにしか銃を撃ちません』とな。

 お前はボディガードか。用心棒かよ!
 ただの秘書だろ。
 ったく、どの口がそう言わしてんだ。
 それとも舞黒屋はそんなに危険な商売をしてんのか?
 悪いことはしてるだろうけどな。


 もし好奇心を刺激されたのなら対戦してみればいい。一発でもパンチが届けば、その人は相当な腕前だと言い切ってもあながち間違いではない。ふつうなら拳をあげた瞬間、壮絶な速度でストレートが来るか、床ドンを喰らうかだな。言っとくが壁ドンじゃないぜ。床ドンだぜ。濡れ雑巾みたいに軽々と投げ飛ばされて、背中から床にド~ンさ。略して床ドン。言っとくが背骨に悪いぜ。

 情けないが腕力では到底勝てないので、口だけで戦うしかない。
「配属はいつ決まったんだよ?」
「このあいだの会議。あの時に決まったの。どうしてあなた遅れてきたのよ」

 先週の会議か……。

「ああ。あれな。確か部品屋の営業マンが長居してな。なかなか帰らなかったんだ」
 玲子は「あっそ」とか言って顎を引いた。

 咄嗟に言い訳をしたが、実はそんな理由で会議に遅刻したのではない。
 片思いだが大好きなマナミちゃんに引き止められて、どういう風の吹き回しか、妙に会話が弾み、ついつい長居をしたのさ。だから受付の女の子と意気投合していて遅れました、とは口が裂けても言えないのだ。


「なるほどね……」
 悔しいがこれ以上ごねると、自らの墓穴を掘る可能性がある。ここは引いておこう。
「ま、玲子くん。安心したまえ。俺が守ってやるぜ、その『危険何とか課』を……」
 彼女は眉の端を微妙に歪めた。
「何とか課じゃない! 何度言えば覚えるの。特殊危険課よ! リーダーはあたしだかんね。分かった?」
 玲子は鼻息も荒く大いに息巻くが、俺は不満爆発だ。
「なんでお前がリーダーだよ?」
「多数決に決まってんじゃない」
「俺は手を挙げていない」
「遅れて来るほうが悪いわ。多数決なんてそういうモノでしょ! リーダーは私に決まったのよ」
 触れるものすべてを切り刻む、そんな鋭い視線で俺を睨み上げた。

 ただでさえ切れ長で鋭い目をしてるだけに、力を込められるとすげぇ怖い。武道家の眼光は美人であっても揺るぎない険しさを含んでいる。

 しかたがないので、沈黙。
「…………………………………」
 さらに沈黙。

「裕輔! 返事をしろ!」
 ヤツは直立すると、上から威圧してきた。鋭く尖った刃(やいば)の切っ先が、すーと鼻っ面に差し込まれたのと同じ恐怖が走る。

 マジ怖いんっすけど……。

「返事はどうしたのよ」
 色々痛い目に遭っているだけに、俺は逆らわない。
「はい……了解しました」
 したって腹の中では、
(勝手にしろ、バカ! こっちは適当にサボってやるからな!)

「それからね、サボると承知しないから」
「…………………………………」
 やっぱこいつはテレパスだぜ。
 勘の鋭さと運動神経は一致するのかな?

 すごすご引き下がる俺の肩越しに、
「イライザってどんなとこダすか?」
 ヘッドフォンから紙ヤスリを擦ったような音を漏らしながら、田吾が訊いてきた。

「なーんだ、お前、知らないのか?」
 振り返って、両耳のコードを引っこ抜いてやる。
「なにすんダよー?」
 迷惑そうな眼差しをするメガネブタへ、
「あのな。イライザの保養所って言って、南の島を丸ごと会社が買い取って、社員のために解放したって話だ。すげぇだろ。うちの会社よっぽど儲かってるんだぜ。酒飲み放題とか、綺麗な女の人が世話してくれるとか……ま、そんなとこだろう……たぶんだけどな……」

「アニメみたいな子もいるダかな?」
 脂身がたっぷり詰まった頬をプルプルさせて破顔する。きしょいぜ。田吾くん。

「そりゃあ、いるだろ。なんせ南の島だぜ」
 どんな理屈でそうなるのか、理解に苦しむけど──いいんだ。何しろ南国だ。常夏なんだ。
 でもって実際どうなのか、知るのはこいつだけで。

「なぁ玲子。どんな感じのとこだよ。お前は社長秘書だから聞いてんだろ?」
 期待が込められた俺たち四つの瞳が、婦人雑誌の編集長みたいに記事を凝視する美女に据えられた。

「……知んない」
 興味無しといった反応で、顔すら上げなかった。

「ちっ、しょうがねえな」俺は舌を打ち鳴らし、
「ふん。お前なんかあてにするかよ。こっちには別のでかい情報源があるからな」
 これは虚勢さ。嘘っぱち。でも俺の肩に乗せられていた田吾の指に力が入った。
「なんであのケチらハゲが南の島なんかを買い取ったんダす? 信じられないッスよ」

 これに関しては充分自信のある答えを持っている。ある筋から入手した確実な情報だ。
「俺も最初はおかしいと思ったんだけどよ、このあいだ受付のマナミちゃんから聞いたんだ」
「なんダす?」ブタが半身(はんみ)を乗り出した。

 旅行の話を聞いた当初、ケチらハゲが全社あげての同時旅行を決行するなんておかしいと踏んでいたのだ──これまで散々ひどい目に遭った俺だからこそ得た直感さ。で、合同社員旅行が現実だとすると、愛しのマナミちゃんも参加するはずなので、それとなく尋ねたんだ。

 すると──。

『聞いてます聞いてます。リゾート施設のある南の島を会社が買い取ったらしいですよ。そこを保養所として解放するんですって。そのお披露目を兼ねて社員一同を迎えてくれるらしいですよ。やっぱり社長って太っ腹なんですよー』

 太っ腹と宣言するあたりに、ずいぶんと引っ掛かったのだが、この後の説明に納得せざるを得なかった。

『だって、最初の投資は凄いけど、社員以外の一般の人へも観光地として有料で使えるようにするんですって。そうしたら社員の福利厚生費が浮いてくるでしょ。さすが先まで読んでますよ社長は…………それとですね……』
 そこまで言って、マナミちゃんは急に口ごもり目元を赤らめたのさ。

『あの……。あたし嬉しいんです……。ユウスケさんとご一緒できるんですものね♪』
 ぬぁんと『♪』マークまでおまけに付けてくれちゃって。かわゆいねぇ。どうだすげぇだろ、田吾!

「い、痛いって、裕輔、頭を叩かないでくんろ」
「ああ。すまん。つい興奮してしまった」

 俺は思ったね。
 運動神経だけが異様に発達したスポーツ馬鹿と旅行へ行ったところで、どうせ地元のヤバ系の人に要らぬ喧嘩を売って、最終的に俺にまでとばっちりを受けるのがオチだと。そんな気の休まらない休暇はいやだ。道中、危険な目に遭うのではなかろうかと、暗濾(あんたん)たる気分で旅を続けるより、マナミちゃんの柔らかそうな栗色の巻き上がった髪の毛を眺めて、一杯やったほうが、どれだけ精神的、かつ肉体的に良薬になるか、という話だ。

「どーだ、田吾ぉぉ。イライザだぜ!」

「ふっ……」
 通路を挟んで、またもや誰かの嘲笑を含んだ鼻息が聞こえた。
「なんか文句あんのかよ玲子。旅行は誰と行ったって楽しいもんだ。個人的な感想じゃねえぜ。みんなが楽しいんだ。なぁ田吾?」

「ユースケー。しゃいんりょりょ~って、何だよぉ?」
「ぅ…………」
 天井付近から舌足らずな声がして、俺と田吾はさっと目を逸らし、玲子は長い腕を伸ばした。
「こっちいらっしゃい」
 宙に浮かんでいる白色の球体を抱き寄せつつ、
「社長は?」と訊く玲子。

「ハゲオヤジはいまタラップを登ってるよ」
「こら、そんな言葉を使ったらダメって言ってるでしょ」
 と玲子は叱るが、俺さまは寛大だね。そっと伝えてやる。
「正直でいいんじゃない?」


 そいつはシロタマと呼ばれる──ん。なんて言おう……物体でいいか。とにかく生命体ではない。それからその名の通り白い球体である。

 大きさはテニスボールより少し大きいぐらい。
 そんな物体が、なぜ宙を漂い人語を話すのか。
 これを説明しだすと、長くなるので重要なところをかい摘むとだな──。

 スーパーブレインW3C(超量子スーパーコンピュータ)が生命体の情報収集をするために、W3C自身が創った『対ヒューマノイドインターフェース』という鬱陶しい機械なのだ。
 今度はスーパーブレインW3Cって何だ、となるだろ。これも2行で収めると、
 異星人が作った量子コンピューターさ。という理由で、誰も仕組みが分からない。でもわがアルトオーネを統治するすんげぇ賢いコンピューターで、感情さえも理解するんだぜ。

「ユ~スケぇ。おめぇ誰と喋ってんだよ~」
 機械のクセに、こうやって舐めた口調で接して来るから腹が立つ。
 こいつは人の腹の中を読んで平気で揚げ足を取ってくるから、みんなが嫌うんだ。一人を除いてな。

「ほらこっちおいで。あんまり裕輔に近寄るとバカがうつるわよ」
 んのやろー。
 再び玲子の手を目指してふわふわと浮遊し始めた白い球体を追って俺の視線が移動する。

 これで厄病神と貧乏神が揃った。この先よくないことが起きるのは決定的だ。
 あとは死神のご登場を待つだけだ。社長な。

 シロタマは差し出された玲子の手のひらにふんわりと着地すると、冷やっこい声に切り替わった。
『ユースケが知能不全だという事実は認めますが、伝染することはありません。ましてやシロタマは人工生命体です。有機生命体の病原菌がうつることは決してありません』

 クソタマめ。好き勝手なことをぬかしやがって。

 今、喋った冷然とした女性の声は、これもシロタマの機能の一つで、報告モードと呼ばれるさらに鬱陶しい状態に切り替わった時だ。つまり舌足らずなクソガキ口調と、機械的な女性の声、二面性を併せ持ったガチ腹が立つ機械。それがシロタマなのさ。してから、よけいに憤懣を募るのは、玲子にだけは態度も従順で口調も温和なコト。まったく人を舐めてやがるとしか言いようがない。

 手のひらから玲子の肩に乗り移ったシロタマは、最もお気に入りの場所、俺だって一度は顔を埋(うず)めてみたい、肩に広がる美女の黒髪。そのうなじ辺りを目掛けてボディ半分を潜り込ませたとこで、思い出したように急いで宙へ舞うと、またもや俺の鼻先に直行して来た。

「なぁ。しゃいんりょりょ~って、どういう意味だよぉ?」
 馴れ馴れしいな。こいつ。
「おい、ちょっと離れろよ。話しにくいだろ」
 鼻先の辺りを浮遊する球体を睨みつけ、少し後ろへ下がったのを確認して、
「しゃいんりょりょ~じゃねぇよ。社員旅行だ」
 鬱陶しいので窓へ顔を捻るが、またまた目の前に移動してきた。

「意味わかんないよー。りょりょうって何だよぉ」
「んなことより。お前、何で空中に浮かんでいられるの?」
 長いあいだ抱いていた疑問だったから、つい訊いてしまった。

『超小型の重力波抑制デバイスを搭載しています。銀龍の半物質リアクターの小型版でグラビトン粒子をコントロールすることが可能です』

 訊くんじゃなかった……。何を言ってんだかよく解らん。こいつはしょせん機械さ。説明を求めるとくどいんだ。話を簡単に済ませるなんて芸当はできないのだ。

『話を手短にすると、重力波を伝えるゲージ粒子、グラビトンを特殊な波動で震わし……』
「あーー。ごめん俺が悪かった。説明はもういい」
 手短になってねーし。

「ふんっ。バカ相手にまともに説明する気はねえよ」
「くっ……」
 何とかならんのか、この二重人格は!


 俺の相手をする気もなくなったというのか、シロタマは玲子のもとへと飛び去ると、そっちで同じ質問を繰り返した。
「しゃいんりょりょ~ってなに?」
 雑誌から目を離さず玲子が答える。
「お仕事を共にするみんなと旅行へ行くことよ」
「何が楽しいのでしゅか?」
 ぐりんと空中で丸い身体を旋回させた。どっちを向いたのかは不明だ。顔が無いからな。

「そうねぇ」
 白く綺麗な顎に人差し指を当てて少し考え込んだので、すかさず俺は口を挟んだ。
「何も考えることはないだろ」
「どういう意味よ?」
 気が付いていないようなので、きっぱりと言ってやる。
「お前の楽しみと言ったら、旅先で怖い系の兄ちゃんを探して片っ端から喧嘩を売ること……ぅっ」
 剣先にも似た鋭い視線が俺の眉間を貫いていた。

「はぁーーい。黙りまーす」
 とりあえず肩をすくめて座席に縮こまることにした。
 絶対に何か嫌なことが起きる。